スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ
vol.306-1(2006年 6月20日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト

「FWの決定力不足」は解消できないのか

 予想通り、FWの決定力不足、という長年の日本サッカーの病いは、今回W杯でも克服されなかった。大会直前のドイツ、マルタ戦でFWが全得点の3点をあげたので、ひょっとして本番でもFWが大活躍するかも、と一縷の望みを抱いたが、かなわなかった。

 決定的チャンスを逃した柳沢を見ていると、今回もそうだが、いつでももどかしさが残る。相手ペナルティーエリアに入ってもなお、より正確さを考えるかのように、自らはシュートを打たずに、味方へのパスを選ぶ。ジーコ監督の信頼は高いようだが、それはシュートを打つまでのお膳立て、FWも守備をおろそかにしない態勢づくり・・・であって、ことシュートとなると、一瞬のためらいと見える安全確実への心の傾きが前に出て、点取り屋のFWらしい荒々しさが感じられない。珍しく自分で打った、と思うとハズレ。

 6月18日付朝日新聞「W杯を語ろう」で、長崎・国見高校総監督の小嶺忠敏さんのインタビューがのっていた。国見高を全国高校選手権で6度、高校総体で5度、全日本ユース選手権で2度、優勝に導いた名監督である。

「日本ではFWが育たないと言われるのは、高校の指導者としては気になる。先日、釜本邦茂さんと話をした時に、どうしたらいいかという話をしたら、とにかくシュート練習が少ないと言われ、なるほどと思った。考えてみると、どうしてもつなぎとかドリブルの練習が中心になっている。日本全国そういう傾向。今は、もっとシュート練習をしなきゃという気持ちでいる」

 この名監督にして、かくのごときか、と思う。昔からよく言われることだが、野球に対する日本とアメリカの子どものちがい。日本の子どもはまずグローブをとって、キャッチボールから始める。アメリカの子どもは、まずバットを握って打つことから始める。守る姿勢と攻める姿勢が、早くも子供の頃からハッキリした違いを見せ、国民性のしからしめるところ、といわれてきた。サッカーにも野球と同じような流れがあるのか。

 日本にもかつて、過激なFWがあった。戦時中の神風特攻隊。しかしこれは、上から強制され、散って還らぬFWで、勝ち抜き、生き延びるためのFWではなかった。とても現代に通用する伝統ではない。

 民族性や国民性は簡単に変えられない。教育法を変えることだって、簡単ではない。ゆとり教育だ、いや学力重視だ、と、受ける側に成果が出る前に二転三転してキリもない。

 困ったときの神頼みならぬ、顔頼みはどうか、と思いついた。日本で唯一のストライカー釜本さんは、一言でいえば異相の持ち主である。いかにも我の強そうな、他人が何と言おうと我が道をゆく、という人相。柳沢はまったく異相ではない。おとなしそうな、人柄のよさそうなハンサムである。ふだんつきあうには、最高の人柄ではないか、と思わせるやさしさがある。しかし、FWの異相ではない。柳沢にくらべれば、クロアチア戦で強烈なミドルシュートを放ち、惜しくもゴールキーパーにはじかれたが、その中田英寿の方がまだFW的異相の持ち主に見える。

 FWには生まれながらの天性のものがある、といわれるが、それならいっそう、異相探しは現実味を帯びてくる。

 オーストラリア戦の最後10分間の、張りつめた緊張感のイトが切れたあとの混乱、茫然自失ぶり、クロアチア戦の得点なし引分け、を見ながら、以上のような妄想が湧いてきたのであった。

筆者プロフィール
岡崎氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
ページトップへ
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望
vol.306-1
「日本代表の問題点」
  松原 明/東京中日スポーツ報道部

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件