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vol.445-1(2009年4月21日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター
中都市だっていいじゃないか

 オリンピック夏季大会の開催地選びが話題になるたびに、いろいろと感じることがある。とりわけ、あらためて思わないではいられないのはこれだ。なぜ大都市でなければならないのか。中都市、場合によっては比較的小さな街で開いてもいいのではないか。

 大都市路線はこのところ、ますます強まっている。財政面で画期的、歴史的な成功をおさめた1984年のロサンゼルス大会以来、国際オリンピック委員会(IOC)とそれぞれの開催都市は徹底したビジネス路線を推し進めてきた。回を重ねるごとにさまざまな面で規模が拡大し、それに伴ってショーアップされた華やかさも飛躍的に増していった。競技場をはじめとする施設整備にも、惜しみなく多額の資金と最先端技術がつぎ込まれてきている。そんな超ビッグイベントを開くとなれば、これはもうインフラや財政基盤が整った大都市以外では難しい。

 IOCが大都市路線を推し進めているのは、オリンピックの価値をより高め、ワールドワイドなビッグビジネスとしての確立を保っていくためだろう。確かに、オリンピック・ムーブメントを推進していくには五輪大会の基盤強化が不可欠で、それには財政面での安定が最も大事なのはよくわかる。とはいえ、だからといって豪華・巨大化路線、それを支える大都市開催でなければならないというわけではないのではないか。

 本来、オリンピックは豪華絢爛な巨大ショーだから世紀を超えて長く愛されてきたのではないはずだ。オリンピックの価値は、唯一無二のところにある。世界中からさまざまな競技のトップ選手が集まってきて至高の勝負を競うという、スポーツファンにはたまらない楽しみ。それが国際理解や友好親善、平和運動にも直結しているという意義の高さ。それらが醸し出す、オリンピックでしか味わえない、胸躍る祝祭の雰囲気。スポーツに限らず、他のどんなイベントでもつくりようのない唯一無二の姿が、きわめて高い価値を生んでいるのである。つまり、オリンピックには長い歴史の中で培ってきた価値がおのずと備わっているのであって、豪華なショーに仕立てたからそれが生まれたわけではない。

 オリンピックにはいろいろなやり方があっていいと思う。豪華路線の選択もあるだろう。その一方で、あえて絢爛たるショーアップを控え、いかにも素朴でアットホームな大会にしてもいい。もっと多様かつ個性的であるべきなのだ。オリンピックには本来備わった価値があるのだし、IOCにとって最も重要なテレビ放映権の価値も、開催都市によってそれほど変動するものではないと思う。ならば、豪華・巨大化路線、大都市路線に何がなんでも固執する必要はないのではないか。中都市であっても、五輪の価値をそこなわずに大会を開くことは十分に可能ではないのか。

 北京大会のように、国家の威信が露骨に前面に押し出されるような開催もあるが、それも含め、最近の大会はみな同じように見える。ちっとも個性的でない。というのも、世界的な大都市ばかりで、同じようにショーアップした大会ばかりだからだ。これではかえって飽きられてしまう心配もある。それならば、さまざまな大陸のさまざまな都市で、もっと個性的な大会を増やしていく方向を考えてもいいだろう。

 五輪の基盤を強化するため、IOCは巨大化を推し進め、その結果、大都市でなければ開けないという形をつくってしまった。近年、簡素化を唱えているとはいえ、IOCが開催都市に要求するものの大きさを考えれば、大都市路線は続かざるを得ない。オリンピックの精神そのものから考えれば、それはけっして望ましい方向とは言えないと思う。IOCには、オリンピックの将来構想をもっと幅広い視野で探っていく姿勢を強く求めたい。

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