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vol.480-1(2010年2月16日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「腰パン」の向こうに見えるもの

 結局のところ、個々人がどう受け取るか、ということだろう。善か悪か、正しいか間違いかとは割り切れない。例の国母選手の一件である。

 スポーツ選手らしさ、競技者らしさとは何かをあらためて考えてみると、これはなかなか明快には定義できない。個性もあり表現方法の違いもあり、また今回のスノーボードのようにその競技独特の持ち味もあり、たとえ一般的な「スポーツ選手らしさ」とは食い違っていても、だから選手としてダメだとか失格だとかとは言い切れない。なんとなくすっきりしない問題ではある。

 バンクーバー五輪のスノーボード・ハーフパイプ日本代表、国母和宏選手の「腰パン」問題にはスポーツファンの大半が批判的だったに違いない。そのスタイルといい態度といい、記者会見での誠意のない物言いといい、感じの悪いことおびただしい。JOCやスキー連盟に批判が殺到したのも当然だ。が、重大なルール違反やスポーツマンシップの欠如があったわけではないとすれば、出場辞退させるのは行き過ぎだろう。連盟の辞退申し出を退け、謝罪させたうえで出場を認めた橋本聖子選手団長の判断は妥当だった。トップアスリートとしての見識を感じさせる対応だと思う。

 ただ、今回の出来事には、現在のスポーツ界全体や、その最高の舞台であるオリンピックに広がりつつある問題のひとつがほの見えているような気もする。

 先ほどもちょっと触れたが、一般的な感覚でいうスポーツらしさ、スポーツ選手らしさというのは、絶対的な定義ではないとはいえ、忘れてはならないこと、大事にしなければならないことではあると思う。どの競技であれ、この世界ならではのひたむきさや爽快さ、まっすぐで公正な姿勢などがスポーツをスポーツたらしめているのだ。選手はそうした中で自らの思いを表現し、見る側のファンは感動を味わう。それがスポーツの味わいというものではないか。

 なのに、近ごろはその「らしさ」がちっとも感じられないシーンがしばしばある。たとえば、スポーツマンシップに欠けたふるまいが妙にもてはやされたりする。競技の範疇にビジネスが入り込んできたりもする。「勝てばいい」「強ければいい」とする風潮がしばしば顔を出すこともある。まっすぐで爽やかであるのが第一の魅力なのに、あちこちでゆがんだりねじ曲がったりし始めているのが最近のスポーツなのだ。

 どうも今回の一件は、そうした傾向のひとつの表れでもあるような感じがする。そして至高の場であるオリンピックにもその影響が出始めたのかもしれない。テレビ人気やショー的要素ばかりを重視して五輪種目を増やしてきた近ごろの傾向が、ちらりと裏のゆがみを見せたような気もする。

 それにしても、だ。若者の反抗を気どったのかもしれないが、場所柄もわきまえずにカッコつけることばかり考えているような人物が、誰もがあこがれるオリンピック代表とはまったく情けない限りだ。おそらく多くのファンが、こんな選手の演技など見るのはよそうと思ったに違いない。どうでもいい外見にこだわっている選手からは、感動などけっして伝わってこないからである。

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