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vol.508-1(2010年10月25日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

いま問われているものは

 谷亮子さんが柔道の第一線からの引退を発表した。当然のことだろう。世界の頂点で戦い続けるだけの練習をしていくなら、参院議員の職責など果たせるわけがない。国会議員としてなすべきことを誠実にこなしていれば、オリンピックをはじめとする国際試合出場など夢のまた夢に決まっている。「二足のわらじだってかまわない」「もっとやってほしかった」などという声もあったが、そんな甘い考えが通らないケースなのは言うまでもないことだ。「オリンピックを目指す」などと言いながら選挙に出たこと自体、間違っていると言うしかない。

 ともあれ、これからも彼女には厳しい日々が待っている。その立場にふさわしい見識と実行力をしっかり持たねばならないのだ。おそらくは、柔道にそそいだのと同じほどのエネルギーを必要とするだろう。

 スポーツを振興し、スポーツの環境を整えたいと彼女は言っている。ならば、責任も権限もある公人として、それをどのように進めていくつもりなのか、国民に対して詳しく、わかりやすく語らねばならない。それが議員たるものの義務である。「スポーツ振興」の掛け声だけを繰り返しているのでは何も始まらない。

 スポーツの、社会における位置づけをどう考えているのか。スポーツ振興の意義をどこに置くのか。競技スポーツ、生涯スポーツ、健康づくりのスポーツといったさまざまな分野を、それぞれどうとらえているのか。また今日の経済状況のもとで、スポーツに公費を使う是非をどう考えるのか。そうした基本的姿勢のもとで、どのような具体策を立案していくのか。そして政策実行のための財源はどこから捻出するのか−−。語るべきこと、論じなければならない事項はきわめて幅広く、多岐にわたる。基本的な哲学から実際の政策実行、さらに日本のスポーツの将来像まで明快かつ具体的に示さなければ、責任ある立場からスポーツ振興を語ることにはならないのである。

 谷さんに限らず、スポーツ界から国政選挙に立候補する人物は数多い。先だっての参院選でもずいぶん目立った。ただ、必ずといっていいほど旗印にスポーツ振興を掲げているわりに、その中身、説得力ある詳細をちゃんと語る、語れる者はほとんどいない。スポーツ振興を連呼するだけなのだ。そんな状況だから、スポーツ人が選挙に打って出ても、それは単なる有名人候補、つまりは人気と知名度を利用されているだけだとしか受け取られない。「スポーツ人なんて、そんなものだ」などと思われてしまうのである。いくらスポーツ振興をうたっても、それではかえってスポーツの足を引っ張っているようなものではないか。

 もちろん国会議員ともなれば、自分の専門分野、たとえばスポーツのことばかり論じていればいいというわけにはいかない。幅広い知識、見識をもって、この社会が抱える諸問題に取り組むのが任務である。が、スポーツ界から立候補する人々が、それだけの覚悟と認識を持って議員を目指しているとは、とうてい思えない。

 とはいえ、谷さんを例にとれば、彼女には抜群の知名度と人気がある。それだけ大きな影響力を持っているということだ。多くの人々を納得させられる主張、意見を発信できれば、その力を存分に生かすことができるのである。ぜひとも、彼女でなければできない仕事をしてみせてほしい。

 ただ、議員の立場で「これから勉強します」は通らない。その立場にふさわしい見識を示すことができるか。スポーツ人の代表として語るべきことを持っているのか。国会議員になるということは、常にそれを問われ続けるということなのだ。

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