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vol.519-1(2011年2月14日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

なんという的外れ

 八百長問題の大騒動に関連して、「大相撲はスポーツではない」という論がしばしばメディアに登場する。識者だの文化人だのと呼ばれる人々のコメントや寄稿に多いのだが、まったく的外れとしか思えない。

 「スポーツではなく、伝統文化だ」「伝統芸能だ」「神事だ」などと彼らは言う。もちろん、そんなことはない。確かに神事から始まっているのだろうし、伝統文化としての側面も大いにある。が、はっきりしたルールのある格闘技を定期的に興行として行い、15日間の公式戦で優勝が決まっていくものが、プロスポーツでなくて何なのか。

 神事をルーツとし、伝統文化の要素を保ちつつ成り立っているプロスポーツ。それが大相撲である。また、そうでなければこれほどの注目度と人気を維持して成り立っていくわけがない。そこにしかない独特の雰囲気を愛しつつ、スポーツとしての勝負を楽しむ。それが相撲ファンというものだ。技と力の限りを尽くした、スポーツとしての白熱の対決があるからこそ、みなが本場所に注目するのだ。基本的にそれは江戸時代だとて変わらなかったろう。そこに、伝統芸能として「演じられる」取組があるだけなら、誰がそんなものを熱心に見るだろうか。

 「大相撲はスポーツではない」という見方、考え方は、相撲界にとってマイナスに働いてきたと言わねばならない。伝統芸能やら神事やらという概念を隠れみのにして、力士と元力士のみでつくられている相撲界は、きわめて閉鎖的な社会を築いてきたのである。「相撲のことは相撲取りでなければわからない」というひと言ですべてを律する独善的な世界だ。それが、一般社会とはかけ離れた考え方や振る舞いを生み、ひいては、稽古という名の暴力や、賭博の蔓延や、カネによる星のやり取りにつながってきたのではないか。

 健全なプロスポーツとしてのしっかりした組織を確立し、公正な運営、経営を行っていく。きわめて常識的なことだが、大相撲の目指すべきところはそれに尽きるだろう。閉鎖的な運営でここまで劣化してしまった以上、改革は外部の手にゆだねるしかあるまい。生き残っていくためには、他のプロスポーツに学ぶことも少なくないはずだ。大相撲が消滅するかどうかの瀬戸際だというのに、「スポーツかどうか」などと的外れな議論をしていても、何の役にも立たないのである。

 国民的娯楽といえるスポーツは、プロ野球と大相撲だと思う。国民の大事な財産を守るためには、もっと常識的、建設的な論議をしたいものだ。

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