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vol.659-1(2015年12月10日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−17
  8カ月後、東京は何を伝えるのか

 もう間もなくだ。あと8カ月。リオデジャネイロ五輪の閉幕に際して、東京2020は何を伝えるのだろう。  オリンピックの閉会式にはハンドオーバーセレモニーがある。次回開催都市へオリンピック旗が引き渡され、リオではそこで東京が短い時間ながら映像やパフォーマンスでプレゼンテーションを行う。単なるショーでは意味がない。東京2020の理念やコンセプトを具体的な形で盛り込んでこその引き継ぎ式である。ハンドオーバーセレモニーは、「4年後にはこんな大会を、こうした考え方のもとで開きますよ」と高らかに世界に伝えるためにあるのだ。

 2012年のロンドンのセレモニーでは、リオならではのサンバやカーニバルのパフォーマンスが披露され、サッカー界の伝説・ペレも登場した。それなりに華やかで楽しいものに仕上がっていた。では、そこにリオ五輪の明確な理念や方向性が盛り込まれていたかといえば、正直なところ、なんともいえないというほかはない。理念やビジョンを具体的な形で見せるというのは、口で言うほど簡単ではないのである。というより、とびきりの難問と言った方がいいかもしれない。とはいえ、リオの閉会式で東京2020が何をやるのかは、それこそ世界中が注視することなのだ。難問だからといって、適当にお茶を濁すわけにはいかない。
 来年夏、どんなプレゼンテーションが繰り広げられるのか。そうした場合、まず誰もが思い浮かべるのは「和のテイスト」だろう。いかにも日本的なるもの、歌舞伎や大相撲、あるいは京都の風景といったあたりだ。加えて、そこに対比させる技術的な先進性。双方を組み合わせて最新のテクノロジーを駆使すれば、息をのむような映像が出来上がる。それらを実際のパフォーマンスと併せ、国際的に著名な人物も登場させれば、十分華やかなセレモニーとなるのは間違いない。
 ただ、そうした材料で「日本」のイメージは伝えられる(類型的かもしれないが)としても、それは「東京オリンピックが目指すもの」と直結しているわけではない。ポイントはあくまで「我々は2020年大会をこんなオリンピックにしたい」という意思表示だ。難題ではあるが、そこを明快に示さないのではただのショーに終わってしまう。それでは4年後へ向けて世界にTOKYO2020を強くアピールすることにはならない。

 オリンピックは、立候補都市の撤退が目立つ事態が象徴しているように、繁栄の一方である種の岐路を迎えている。IOCも「アジェンダ2020」が示す通りに意識と姿勢を変え始めている。そのただ中で開かれるのが2020年大会だ。二度目の東京五輪は、これからのオリンピックのあるべき方向性をいささかでも示すものとなってほしい。そして来年のハンドオーバーセレモニーはその第一歩となるべき場所なのである。
 組織委員会は「全員が自己ベスト」「多様性と調和」「未来への継承」のビジョンを掲げ、最もイノベーティブで、世界にポジティブな改革をもたらす大会にすると宣言している。が、その高邁なビジョンをどのような形で具体化するのかは、まだほとんど見えていない。新たなオリンピック像をつくり上げるには、もっと別の理念や方向性が必要なのではないかという疑問も残る。最先端技術をちりばめた豪華な一大イベントとすれば、すなわち成功とされる時代はもう過ぎた。あるべき将来像へと近づいていくための一本の芯がきちんと通っていてこそ、国民にも支持され、また世界からも評価されるオリンピックとなるのではないだろうか。
 そこがまず問われるのが来年8月21日、リオの閉会式である。それにしても、あとわずか8カ月。いまだ何も聞こえてはこないが、ハンドオーバーセレモニーの準備はいったいどこまで、どんな形で進んでいるのだろうか・・・。

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