「批評性」「論評性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る―スポーツ・コラム

岡 邦行/ルポライター

VOL.735-1(11.13)
 原発禍!「フクシマ」ルポ-97

 ふるさとは遠きにありて思うふもの そして悲しくうたふもの・・・
 49年前、東京暮らしを始めた頃だ。福島出身の私を前に、東京生まれの彼女は室生犀星の詩を詠みつつ言っていた。
 「岡くん、1日に1回はふるさとのことを思いださなきゃダメよ・・・」
 3・11から2ヵ月経った、2011年5月以降、私は月1の割合で故郷・南相馬に行っている。取材のためもあるが、年々故郷への思いが強くなっているからだ。だが、ここ2ヵ月近くご無沙汰している。10月から毎月九州方面に行かなければならず、早い話が福島に出向く余裕がなくなった・・・。

 毎年秋、この時季になると南相馬市原町区を流れる新田川には鮭が遡上する。3・11後は放射性物質による汚染が心配されたが、知人である新田川鮭蕃殖漁業協同組合のEさんは言う。
 「鮭のよ(地元では鮭をそう呼ぶ)は回遊してるかもしんねえ。保健所で放射能の数値を調べたらほとんどゼロだべ。ただ、川底の苔などを餌にしてる鮎はダメだな。キロ当り2000ベクレルはあるようだ・・・」
 新田川には少年時代の思い出がいっぱいある。鮭漁を眺めつつ、空缶を手に次つぎと岸辺に放り投げられた鮭の腹からこぼれるハラコ(イクラ)を拾っては食べていた。毎年10月初旬、〝川株〟を持つ村人たちが簗(やな)をつくる日だ。藪で捕った蛇の皮を剝き、焼いたのを食えと大人に強要され、泣いて逃げ回ったこともあった。
 よく曾祖母は〝カオス〟と呼ばれる鮭泥棒の話をしてくれた。桑畑に身を潜め、夜になるのを待って音をたてずに川に入り、両腕で抱えるようにして寝ている鮭をすくい上げる。それが鮭泥棒の真骨頂のワザだという。小屋番に見つかれば没収されるが、バレずに新年を迎えれば自慢話になった。曾祖母は私に諭すように言っていた。
 「代々のじい様は、カオスの名人だった。だからな、いつでも岡の家にはハラコと塩引きがあった。鮭のよは頭も尻尾も皮もな、全部食わなきゃなんねえ。そうでねえと相馬のお殿様に怒られた・・・」
 カオスの語源は? 曾祖母の話によると〝かわうそ〟が訛ったもので、大昔は鵜飼いと同じように、かわうそを飼育して鮭漁をしていたという。

 すでにルポ4に書いたが、私は新田川で鮭漁をする漁協のEさんたちを何度も見ている。そのたびに思う。野球と鮭は似ているなあ、と。
 野球は、相手投手が投球したボールを打ち、1塁、2塁、3塁と進塁。最後はホームイン(帰郷)する。鮭も野球と同様に、故郷の母川であるホーム(家)から海に出て、1塁、2塁、3塁と進塁するように大海を泳ぎ切り、成魚になって4年後に帰郷。産卵し、次の世代にバトンタッチする・・・。
 毎年3月、Eさんによれば約140万匹の鮭の稚魚を新田川に放流するという。しかし、3・11以降、帰郷する鮭は減っている。
 3・11前、南相馬市には16校の小学校があり、全児童総数は3850余人だった。しかし、無事に帰郷する鮭と同様に2150余人に減少した(4月6日現在)。中学校の場合は、1920余人から1260余人に減っている。部活の部員も少なくなり、他校と協力しなければ大会に臨めない。当り前だが、原発事故後の小・中・高の部活は苦しい状況にある・・・。


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