「批評性」「論評性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る―スポーツ・コラム

岡 邦行/ルポライター

VOL.709-1(3.21)
 原発禍!「フクシマ」ルポ88

 違法カジノ店での賭博行為が発覚し、謹慎処分を受けていた日本バドミントン界のエース・桃田賢斗。その処分がようやく解け、この5月から活動を開始するという。別に私は桃田を擁護するわけではないが、彼は原発禍の街の避難民として、貴重な富岡高時代の2年間を過ごさなければならなかった。そのことを知っている人は少ないだろう―。

 2月28日、震度5弱の地震が福島県浜通りを襲った日、私は福島市飯坂町の温泉宿にいた。翌3月1日には例年通り、福島県立高の卒業式が挙行される。だが、原発禍の街の双葉高・双葉翔陽高・富岡高・浪江高・浪江高津島校の5校(卒業生111人)にとっては、最後の卒業式でもあり、休校式を兼ねていた。その1校である富岡高取材のため、私は飯坂町に足を運んでいたのだ。
 原発事故から2ヵ月後の2011年5月初旬。富岡高は福島北高・猪苗代高・光南高・磐城桜が丘高・いわき明星大の県内のほか、三島長陵高(静岡県)の6校のサテライト校に分散しての授業を開始した。微震でも大きく揺れ、雨音では授業が中断するプレハブ校舎で、生徒たちは大事な青春の日々を送ることになったのだ。
 あの日から6年の歳月が流れた、この3月1日。富岡町から遠く離れた福島市飯坂町の観光会館パルセいいざかで、富岡高の卒業式は午後1時に始まり、続いて休校式が行われ、3時過ぎには滞りなく終了した。最後の卒業生62人(全員が11年前の2006年春に創設された、連携型中高一貫教育の国際スポーツ科のサッカー部・バドミントン部・ゴルフ部員)は、休校を惜しみつつも笑顔で記念写真に収まった。
 「この11年間、部員と一緒に活動できたことに感謝しています。この6年間は部員も少なく、きょう卒業した部員は1人だけ。原発事故前は部員が16人いたんですが、県外の実家に帰ってしまい、戻ってきたのは4人だけです。放射能は怖いですからね。私は『戻ってきて』とはいえませんでした。もう6年経ちましたが、いまだに会っていない当時の部員もいます・・・」
 これまで何度も取材でお世話になっている、ゴルフ部を指導するKさんはしみじみといった。関西人の彼女は11年前に富岡高ゴルフ部のコーチに就任。女子プロ2人を輩出し、その指導力が評価されて1昨年には日本女子プロゴルフ協会のティーチャー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。原発事故後も福島を棄てることなく、今後も福島で生活し、ジュニア育成を続ける。私を前に強い口調でこういった。
 「多くの人たちの人生を奪った、原発事故のことは絶対に忘れないで欲しいです」
 ちなみに桃田賢斗の恩師、バドミントン部を強豪校に育てたOさんは卒業の寄せ書きに〝Mind Over Body〟と記していた。4月からは富山県の社会人チームを指導するという。

 卒業式と休校式が行われた3月1日。その前日、私は久しぶりに福島北高敷地内に設けられた、富岡高のプレハブ校舎を訪ねた。「福島県立富岡高等学校」と書かれた木製のプレートは外され、校舎内は閑散としていた。全国大会で活躍したサッカー部やバドミントン部の賞状やトロフィー類、記念写真もなかった。間もなく校舎も取り壊される・・・。
 敷地内を歩くと、校舎の片隅に真新しい金属製の碑を見つけた。私は声を出して読んだ。
 《福島県立富岡高等学校 福島北高校サテライト校跡 [校訓] 清く 明るく 広く 優しく 強く 正しく 「富高はひとつ」》

   
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