「批評性」「論評性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る―スポーツ・コラム

佐藤 次郎/スポーツライター

VOL.768-1(11.15)
 「五輪の風景」-95
 「ソリの危機」を見過ごすな


 冬季競技の季節がやって来た。冬のオリンピックが終わって間もないが、ここからは「次」を目指す白熱の戦いが始まる。楽しみの多いシーズンになるだろう。ただ、何とも残念なのは、今季はそこに大きな空白がひとつあることだ。「スパイラル」の使用休止である。
 1998年の長野オリンピックに向けて建設され、以来、日本で唯一のソリ競技施設として選手たちの拠点となってきた長野市の「スパイラル」。韓国・平昌にオリンピックのための競技場がつくられるまでは、アジア唯一という貴重な存在でもあった。なのに、その唯一の競技施設が、平昌オリンピックが終わった2018-19シーズンは製氷をしないのである。維持費がかさむことから、長野市が使用休止を正式に表明したのは昨年4月。もう1年半もたっているとはいえ、いざシーズンを迎えてみると、関係者のやり切れない思いはいっそう募っているのではないか。何しろ、今季はボブスレー、リュージュ、スケルトンの各全日本選手権も開かれないというのだ。
 オリンピックのためにつくられた競技場が、大会終了後に厄介ものに成り下がってしまう例は世界中にある。オリンピックだからと豪華で巨大な競技場をつくっても、大会が終わってしまえば、そうした施設を利用する機会などそうそうあるわけもなく、ほとんど使われないまま、巨額の維持費に耐え切れずに廃墟同然になっていくというわけだ。地元住民にしてみれば、高額な維持費を公費で負担し続けることなど許せるわけもない。スパイラルの場合も、年間2億2千万円もの維持費がかかっているという。となれば、大方の意見は使用中止もやむなしというところにまとまるだろう。
 だが、スポーツ取材に携わる者としては「それにしても…」と思わずにはいられない。ソリ競技は冬季スポーツの主要な柱のひとつなのだ。利用者が限られているとはいえ、国内唯一の競技場がなくなってしまえば、それはすなわち、競技そのものの著しい衰退にもつながりかねないのである。そうなれば、歴史と伝統に育まれたスポーツ文化のひとつが消えていくことにもなる。「巨額のカネがかかるのだから」「仕方のないことだから」と手を拱いていていいものだろうか。
 確かに日本の競技人口は少ない。国際的な競技力も高いとはいえない。それでも、スケルトンの越和宏選手が、日本で誰もやっていなかったこの競技にほとんど独力で取り組み、ソルトレークシティーのオリンピックで8位入賞を果たした例もある。その快挙も、シーズン中はいつも滑れるホームコースがあったからこそだろう。唯一のコースが消えるということは、将来実現したかもしれないさまざまな夢も、可能性も消してしまうということなのだ。
 事態はこれからどう進んでいくのだろうか。いまのところ見通しは暗いようだ。全日本選手権が開かれないというのは、その競技の存在証明がなくなるというほど深刻なことのように思えるが、製氷再開の可能性がほとんど見いだせないままなら、いつまでたっても大会見送りが続くだろう。さらに危惧されるのは、競技発展のために最も大事な後進の育成ができなくなることではないか。選手の海外派遣はできても、それは既に高いレベルに達した一部選手に限られる。シーズンにはいつも使える身近なコースがなければ、ジュニアや若手の育ちようがない。そうなれば、日本のソリ競技が急速に先細りになっていくのは避けられない。
 この危機にどう向き合うか。日本ボブスレー・リュージュ・スケルトン連盟にその責務があるのは言うまでもない。が、事態はもう、一連盟の手にあまるところまで来ている。ここは日本のスポーツ界全体が官民挙げて対処するしかない。スポーツ庁、日本スポーツ振興センター、JOC、日本スポーツ協会といった行政や統括団体が先頭に立ち、力を合わせて使用再開への仕組みを模索していくしかないだろう。
 たとえ競技人口が少ないとしても、ひとつの歴史ある競技が存亡の危機に立たされているのだ。これを見過ごしていていいはずはない。しかも時間は切迫している。すぐに手を打ってほしい。この問題では、日本のスポーツ界全体の姿勢と底力が問われることになる。


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