Home
オリジナルコラムを中心とした当サイトの更新情報、スポーツ関連講座やシンポジウム開催情報などを無料配信しております。今すぐご登録を!
メール配信先の変更
ご意見・ご要望


■Back Number■

Vol.131( 1/29)
Vol.130( 1/22)
Vol.129( 1/15)
Vol.128( 1/ 8)
Vol.127(12/25)
Vol.126(12/18)
Vol.125(12/11)
Vol.124(12/ 4)
Vol.123(11/27)
Vol.122(11/20)
Vol.121(11/13)
Vol.120(11/ 6)
Vol.119(10/30)
Vol.118(10/23)
Vol.117(10/16)
Vol.116(10/ 9)
Vol.115(10/ 2)
Vol.114( 9/25)
Vol.113( 9/18)
Vol.112( 9/11)
Vol.111( 9/ 5)
Vol.110( 8/28)
Vol.109( 8/22)
Vol.108( 8/14)
Vol.107( 8/ 7)
Vol.106( 7/31)
Vol.105( 7/24)
Vol.104( 7/17)
Vol.103( 7/10)
Vol.102( 7/ 3)
Vol.101( 6/26)
Vol.100( 6/19)

100号記念メッセージ

■vol.132 (2003年2月5日発行)

【杉山 茂】伊達公子さんが預かった200本のラケット
【賀茂美則】ミラーの中日移籍騒動に思う
【師岡亮子】スキージャンプW杯:今季の争点は魔法のスーツ
【大島裕史】韓国スポーツ・一時代の終わり
【岡 邦行】"オートレース界の神様"広瀬登喜夫
【岡崎満義】「実業」としてのスポーツの理念を!


◇伊達公子さんが預かった200本のラケット
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

伊達公子さん(元テニス選手)が、たくさんのラケットを手にして、これ以上ないと思えるような笑顔を見せた(2月1日・東京体育館)。1月末から同所で開かれていた国際女子テニス大会の参加選手や来場者に、「アジアの発展途上国の子供たちのために」と、ラケットの寄付を募ったもので、この日までに200本を越す提供があった、という。

伊達さんは、国際協力事業団(JICA)のオフィシャルサポーターを務めており、アジアテニス連盟とのタイアップで、この行動の先頭に立った。ロードレーサーの有森裕子さんも、各国のランニングイベントへ積極的に出かけ、国際親善とともに、スポーツの楽しさを広める"使節"の役目を果たしている。

栄光に輝いたトップアスリートたちが、社会的事業へ参加の意欲を示すことが、日本でも一般化してきた。素晴らしい。

一方で、大きなイベントを開くたびに、ボランティアが募集され、その活動が、相変わらずニュースになる。それは、まだまだ日常的な行為として成熟していないことを示すものだ。ニュースにならなくなってこそ、地についたものといえる。スポーツ主催者側も、流行のように、その善意をとらえていないか。

最近も、あるボールゲームのボランティア募集の告知に、「特典はフロア近くで無料で見ることができます」とあった。日本のスポーツ団体の感覚は、まだこの程度なのか、と驚かされる。

現役の競技者もシーズンオフに、必ず、何らかのボランティア活動をする習慣が根付くといい。日ごろ、自分たちの大会や試合が、多くのボランティアに支えられている感謝を、常識として持ち合わせても欲しい。

「スポーツボランティア」という狭い表現も、いずれはなくしたい。スポーツイベントだけのボランティアではなく、ボランティア活動の1つにスポーツが組み込まれるのが、"望むべき姿"だ。

伊達さんは、集まったラケットをたずさえて、ベトナム、バングラデシュなど5〜7ヶ国を廻る予定だ。

「このラケットで、初めてテニスをする子供がたくさんいるでしょう。その嬉しそうな顔、一日も早くと思っています」―。

PageTop


◇ミラーの中日移籍騒動に思う
(賀茂美則/スポーツライター:ルイジアナ発)

中日が獲得予定だったミラーがゴネている。一旦は合意した中日入りを断り、今になって後からオファーのあった「レッドソックスで開幕を迎えるのが夢」などとふざけたことを言っている。

冗談ではない。中日によれば契約書にサインもしているのだから、断固とした態度で臨んでもらいたい。

西川中日球団社長は、「是非とも来日してもらいたい」と言っているが、これは無理というものである。日本に来たくないミラーを無理矢理来日させても、まともな成績を残せるはずがない。

中日は一刻も早く代わりの補強を決め、ミラーに対しては違約金請求の民事訴訟を提訴すべきである。中日の言う通り、正式な契約が成立しているのなら、裁判で勝つのは自明だからである。ミラーの言う通り、拘束力のない基本合意だけなら、メッツが中村に対してしたように、さっさと諦めて手を引くことだ。

訴訟する場合、日本の契約書に対する違約金であるから、日本の法廷に持ち込めばよい。ミラー側の代理人が来日するだけでも相当な負担になるので、必ず示談が成立する。レッドソックスから出る年俸の3分の1くらいが落とし所だろうか。ゆめゆめレッドソックスからの端金で手を打つなどと考えてはならない。

ここまでの経緯を見る限り、ミラーは中日をなめてかかっている。「戦争が始まろうとしている今、米国を離れたくない」とは言うものの、戦争が始まるだろうことは3ヶ月以上前からわかっていたことだ。「家族が大事」なのはわかるが、家族に相談しないで契約書にサインするアメリカ人などいない。すべてレッドソックスに行きたいがための繰り言である。「どうせ中日は最後には諦めるだろう」と踏んでいるからなめているのだ。

筆者は10年前にルイジアナ州で起こった「服部剛丈君射殺事件(ハローウィーン事件)」でご両親の民事訴訟を手伝ったことがあるが、訴訟で人の気持ちを変えるのは無理だということを身をもって経験した。今回も、訴訟の目的はミラーの気持ちを変えることではなく、ミラー本人に思い知らせることなのだ。そして、大リーグ選手や球団に「日本をなめたらいかんぜよ」と知らしめることなのだ。

これまで外交交渉の場で、日本はなめられてばかりいた。すぐに折れてしまうからである。大リーグと日本のプロ野球の交渉は、国際関係である。国際関係では「なめられたらおしまい」なのである。

西川社長は「悪い前例を残さないためにも、契約を解除することはない」と言っているが、まさにその通り。ここで簡単に折れてしまっては、ただでさえ大リーグのマイナー化している日本のプロ野球界はなめられるばかりである。

中日球団は、今回の騒動をどう解決するかは中日だけの問題ではなく、日本のプロ野球と大リーグの関係の将来を決定するくらいの意気込みで対処してほしい。

PageTop


◇スキージャンプW杯:今季の争点は魔法のスーツ
(師岡亮子/スポーツライター)

「だからさぁ! ジャンプはスーツで飛ぶものじゃあ、ないんだってばぁ!」

オーストリアのエース、ビドヘルツルはあられが横殴りに顔を叩く大倉山で目を剥いた。

オーストリアはノルウェーを上回り、4人が計6勝している。そして、その秘密はジャンプスーツにあると、ドイツやノルウェーが批難している。ルール違反ではないとしても、反則だというのだ。

ジャンプスーツは今まで、日本の2社とドイツのマイニンガー社がほとんどのシェアを占めていた。そこに今季、オーストリアのシュナイダー社が新製品を引っさげて乗り込んで来た。これはオーストリアのノルディック部長、トニー・インナウアーが素材探しから3年かけて作ったもので、今季やっと満足のいくものができてAチームに着せているという。

柔らかくしかも張りのある素材、独自の工夫をこらしたカッティングはアプローチスピードを上げ、空中では風を逃がさない。それだけならいいが、他チームが怒っているのには理由がある。

一般人には想像もつかないが、ジャンプの用具は毎年大きく進化し、毎年何かしらが物議を醸している。ジャンプスーツでいえば、4年前にはアンダーシャツの背面に風を通さない素材を用いて背中を風船のように膨らませる選手がいた。だぶだぶのスーツを着て、ムササビのように風を受ける面積を大きくすることも流行った。

そこで、3年前からは「緩み」まで測定するようルールが変わった。しかも、毎年、許容される緩みが小さくなっている。今季は、襟口から股を通して襟口まで一周する「トルソ」の緩みは6センチとなった。

それなのに、オーストリア選手のスーツは、股の位置がずーんと落ちている。飛び終えてブレーキをかけているところなど、スーツの股が実際の股とヒザの中間点まで落ちている選手もいるほどだ。

スーツの裾の長さには規定はない。オーストリア選手は極端に裾を短くして、引っ張って伸ばしているのだ。

ジャンプスーツの裾にはゴムがついていて、靴の上からかけて捲れあがらないようにしている。オーストリアはゴムよりも伸縮性のない素材の紐にして、強力なスナップで裾に留めている。だから、紐を靴にかけたとき、グーンと伸びて、股が下がる。モモンガかムササビが出来上がり、下半身中央部に風を受ける部分が大きくなる。札幌で3位に入ったリーグルは、バスケットボールもクラブチームで続けてきたという194センチの長身だ。彼の、ヒザとの中間点まで下がったスーツの作り出す面積がかなりの飛距離を生み出していることは間違いない。

じゃあ、他の選手もマネをすればいい。ところが、日本製の素材や、マイニンガーの従来の素材では、そこまで伸ばしてしまうとパンパンに硬くなってしまってアプローチ姿勢がとれないのだそうだ。

用具開発では常にトップでなければ気がすまないドイツは、あの素材を発見したのはマイニンガーが最初だといい、早速、その新素材を新たなカッティングで縫い合わせたスーツをマイニンガーに作らせた。エースのハンナバルトやシュミットは日本には来ずに、世界選手権でオーストリアを負かすことだけを考えて、リレハンメルでスーツと新型スキーのテストに明け暮れている。

今季強くなったノルウェーも、マイニンガーに新しいスーツを作らせ、日本に乗り込んだ。日本選手との飛距離の差は、技量を差し引いても10mはあったかもしれない。

宮平は自ら工夫し、カッティングに細かい注文を出したスーツを日本に帰ってから受け取り、自分のイメージどおりのジャンプを手に入れた。アプローチスピードがグンと上がり、満足しているという。去年とは見違えるジャンプをしているノルウェー選手も口々に、「自分に合ったスキーとスーツだとこんなに飛距離が違うんだと驚いている」と言う。

日本も長野五輪の頃はスーツでは世界の最先端を行っていたし、優勝を重ねる選手たちは優先的に、最新モデルに細かい注文を入れて作らせたスキーを受け取っていた。

さて。2月中旬にイタリアはバルディフィエメで始まる世界選手権では、またもやアッと驚く《新型》の何かが登場して、今一番いいと言われているものを駆逐するのだろうか。

PageTop


◇韓国スポーツ・一時代の終わり
(大島裕史/スポーツライター)

先月29日、韓国サッカー界の長老・李裕N氏が亡くなった。

日本の植民地支配が始まったばかりの1911年に生まれた李氏は、京城蹴球団、咸興蹴球団の選手として明治神宮大会など、日本の全国大会で日本のチームを破って優勝したほか、ベルリンオリンピック後の1936年からは、日本代表にも選ばれている。民族解放後は、韓国代表の選手・監督として韓国サッカーの発展を支えた。特に、日本と韓国が初めて対戦した1954年、スイスW杯の予選では、日本との試合に反対する李承晩大統領を説得。大統領から「もし負けたら、玄海灘に身を投げろ」と言われながらも、日本と試合を行い、スイスW杯出場を決めた。

拙書『日韓キックオフ伝説』の取材でも、たびたびお会いし、貴重な証言をしていただいた。日本との試合に関しては、「サッカーは戦争だ。だから負けてはならないのです」と力説する一方で、戦前から戦後にかけて日本代表監督を務めた竹腰重丸氏とは、深い友情で結ばれていた。韓国サッカーにとってはもちろん、日本にとっても、戦前の状況を知る数少ない生き証人であった。

昨年11月には、ベルリンオリンピックのマラソンで優勝した孫基禎氏が亡くなっている。孫氏の胸の日章旗に、祖国を失った悲しみを感じた朝鮮の人々の気持ちを代弁し、民族系の新聞であった『東亜日報』が、胸の日章旗を消した写真を掲載した話は、あまりに有名である。

また、昨年10月には、バスケットボールの選手として、やはりベルリンオリンピックに出場した李性求氏が亡くなっている。バスケットボールでは、朝鮮から3人の選手が出場しているが、当時、朝鮮籠球協会の会長で、民族運動の指導者でもあった呂運亨氏は、出発前の朝鮮人選手に、「君たちの胸には、たとえ日章旗が付いているとしても、君たちの背には、朝鮮半島を背負っていることを肝に銘じろ」と言ったという。

このように、植民地支配により祖国を失った人たちが、様々な気持ちを抱きながら活動していたことも、日本スポーツ史における、忘れてはならない一断面である。こうした歴史の生き証人たちが相次いで亡くなったことは、韓国スポーツの一時代が終わったことを物語っている。そして、その時期が、日韓関係の大きな転機となった、日韓共催のW杯が終わって半年あまりの間であることにも、何かの因縁を感じる。

私が李裕N氏に最後にお会いしたのは、W杯開幕2日前のことであった。「直接スタジアムに行って、世界サッカーのレベルを観たかったが、体が弱って行けない」と残念がっていたが、「我が国でW杯が開催されることは、人生最高の喜び」と言い、「日本と共同開催をする以上、ともにアジアのリーダーとして、アジアサッカーのレベルを上げていかなければならない」と強調した。

1世紀近い激動の時代を生きていた人の言葉だけに、言葉に重みがあった。

PageTop


◇"オートレース界の神様"広瀬登喜夫
(岡 邦行/ルポライター)

終日雨だった1月27日。午前11時に電話が入った。懇意にしていただいているオートレース予想専門紙社長のHさんからだった。

「岡さん、たった今"神様"が引退しました。得意の雨の中を最後までアタマで逃げ切った広瀬さんらしいラストランでした…」

そう伝えてきたHさんの声は震えていた。

"オートレース界の神様"と呼ばれた広瀬登喜夫さんが、ついに現役選手生活にピリオドを打った。3年前の夏に取材した際、広瀬さんは私に言っていた。「あと5年、65歳まで現役でやりますよ」、と。が、2年も早く引退してしまった。

この1月半ば、久しぶりに私は川口オートレース場に足を運んだ。63歳の広瀬さんは、S級9位にランクされていた。つまり、川口に所属する約90名の選手の中で堂々の9位の成績である。

しかし、3レースに出走した63歳の広瀬さんに、ハンディ20メートルは厳しかったのか。7着だった。

Hさんが言った。「昨年10月に落車してね。そのときはファンから『金返せ!』『死んじまえ!』なんていう罵声を浴びせられた。それでも広瀬さんは、カムバックして上位10名のS級にランクされている。ただ心配なのは、最近の広瀬さんは少し弱気。もう63歳だしね…」

昭和33年11月にデビューした広瀬さんは、私に「私の人生は波乱万丈。ドラマチックだよ」と言っていた。デビューから10年、昭和42年までオートレース場のバンクは舗装されていなくダート。そのために落車が多く、選手が亡くなることも珍しくなかった。

「よく落車しては死んだ。私の師匠も亡くなったし、1週間に3人も死んだこともあるよね。レースの合間に火葬場に行ったり…」

そう広瀬さんは私に言った。

しかし、広瀬さんにとって最も苦しかったのは、昭和45年10月から50年10月までの丸5年間だ。

昭和40年代にオートレース界は"黒い噂"に包まれ、八百長レースが問題となり、嫌疑をかけられた広瀬さんは逮捕された。

「この川口で逮捕されてね。警視庁のブタ箱に40日間、さらに巣鴨の東京拘置所に17日間も収容された。もちろん、裁判闘争…。第一審は罰金刑だったため、控訴してね。高裁で無罪になった。合計裁判は23回もやった。丸4年間の裁判闘争…。悔しいやら淋しいやら…。でも、我ながらよく頑張ったよ」

広瀬さんは、深い吐息をついて語ってくれた。昭和50年10月10日の体育の日に広瀬さんは、レース場に戻ってきた。そして、いつしか"オートレース界の神様"と呼ばれるようになった。

選手生活44年間で1272勝、優勝59回、日本選手権2回、オールスター、賞金王の栄光に輝いた。しかし、以上の成績は昭和42年10月に舗装走路になってからのもの。ダート時代の勝利数、それに無罪を勝ち得るまでの丸5年間の裁判闘争のブランクを考えれば、とてつもない記録を残しているはずだ。

全国にたった6場しか持たないオートレースは、ギャンブルスポーツの中でもマイナーだ。しかし、私はオートレースが好きだ。あのエンジン音がたまらない。ちなみに、広瀬さんは、あの元SMAPの森且行の師匠を務めていた。

神様よ、長い間ありがとう、お疲れさまでした―。

PageTop


◇「実業」としてのスポーツの理念を!
(岡崎満義/ジャーナリスト)

昨年のW杯サッカーは日本中が興奮し、こぞって感動に浸ったかの感があったが、醒めた目で見ていた人ももちろんいた。

作家の大庭みな子さんは6年前に倒れて、今は車椅子の生活が続いているが、その大庭さんの最近刊『浦安うた日記』に、W杯をうたったうたが出てくる。

・ サッカーはけものの叫びファシストの夢テレビなき庵にまどろむぞよき
・ 民衆とは恐ろしきものサッカーの赤いシャツより目そむけて恥じる
・ 民主主義なれの果てなれサッカーは耳をふさいでまどろむがよし

いっそ気持ちがいいくらいの"W杯全否定"に思える。大庭さんはこう続けて書く。

「(W杯は)『たかがスポーツ』と思っていたのに、どうも大変な社会現象らしい。このヒステリックな地球をあげての騒ぎは、ヒトラーがオリンピックのベルリン大会に力を入れ、『民族の祭典』などという映画を作らせたことを思い出させる。スタンドがサポーターのシャツの青や赤一色に染まったりするのを見ると、ああ、あ、とため息が出る」 「お祭り騒ぎが大衆のエネルギーや不満を適当に放散させる安全弁ならば、スポーツで若者の有り余るエネルギーを吐き出させて、それなりに平和への道に通じるのかも知れないが、顔にまで国旗を描いて勝った負けたのと絶叫するのでは、これはファッショへの道、戦争への道の一里塚ではないのかと心が寒くなる」

随分手厳しいW杯批判である。大衆を堕落させる3S「スポーツ、スクリーン、セックス」という、あまりにクラシックなスポーツ批判と無視してよい、という人もあろう。

しかし、「スポーツが地球を救う。それしか生きのびる道はないのではないか」という気持ちが少しずつ兆しはじめている私でも、この大庭発言にはうなずくところがあるのだ。

前IOC会長サマランチ以後のスポーツが、理念や哲学をカサブタか何かのようにそぎ落とし、究極のエンターテイメント産業として、極度の拝金主義に陥ってしまった惨憺たる現状を見れば、大庭さんの感想に同感する人も少なくないだろう。

スポーツ、オリンピックが平和の祭典だというならば、アメリカ一極主義の好戦的ブッシュ大統領に、ロゲIOC会長はスポーツの立場からでも、なぜひと言、ものが言えないのか。スポーツは政治から独立しているというのなら、その独立の立場から独自の平和構想を発信すべきだろう。地球上の飢餓問題にも、同様に発言があってよい。

スポーツは産業革命以来の100〜200年の間、すばらしい「虚業」として、人類が楽しんできた宝物である。それが今巨大な富を生む「実業」へと変化してきた。「実業」としてのスポーツは、新しい理念、倫理をもたなければならない時代になったのである。

スポーツ「虚業」時代には必要なかった新しい責任が、「実業」のスポーツには生じているのだ。

PageTop


本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。 →ご利用条件