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vol.635-1(2015年5月28日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−3
 「五輪バブル」断ち切るシンボルに

 これからいったいどうなるのだろう。ラグビー・ワールドカップやオリンピックまでにちゃんと完成するのだろうか。関係者ならずとも本気で心配せざるを得ないのが新国立競技場建設の現状だ。そして、これもまた現在のオリンピックが抱えるゆがみがもたらしたものと言うしかない。

 ロンドンのメーン競技場に比べておよそ3倍の床面積という巨大さと、それに要する巨額の費用が強い批判を呼んだ当初案。その後、何度も面積減などの見直しを繰り返した結果、開閉式屋根の設置は大会後に先送りし、8万人収容のスタンドに設ける予定だった可動式の観客席を仮設に改めるというところまで計画が縮小された。それでも総工費がどこまで膨らむかは依然不透明で、一部費用の負担などをめぐって東京都からも追及を受けるといった状況だ。これはもう迷走と言われても仕方がない。文部科学省や直接の担当である日本スポーツ振興センターはいったいどんな見通しをもって事業にあたってきたのか。その姿勢と見識は厳しく問われなければならない。
 とはいえ、これはもちろん直接担当部署だけの問題ではない。この体たらくは、オリンピックの現状、もっと正確にいえばこの現状に至らしめた五輪大会のゆがんだ方向性がもたらしたものだからだ。
 既に前回、前々回の連載でも指摘したように、さまざまな意味でのオリンピックの巨大化、肥大化はほとんど行き着くところまで達しており、ついにあちこちで綻びや行き詰まりが顔を見せ始めている。そこで総元締めたる国際オリンピック委員会も「アジェンダ2020」を出すなどして、手のひらを返したように反対方向への修正を始めたというわけだ。しかし、ついこの間までは巨大・豪華路線のさらなる徹底をあおり立てていたのである。

 オリンピック開催にあたっては、すべてに最高、最上の量と質を要求してきたIOC。そうでなければ選ばれないのだから、開催を望む側はそれを呑まざるを得なかった。ついでに言えば、地元の批判を抑えるために開催費用は低め、低めに見積もることにもなる。が、世界的に経済が停滞しているうえに、オリンピックの将来もいささか不透明になってきたとなれば、もうそんな路線を突っ走るわけにはいかない。市民・国民の見る目も厳しくなっている。となると、当然のことながら施設整備に関しては計画や費用負担の問題を見直さざるを得ない。そんなことが繰り返されれば迷走状態にもなるだろう。新国立競技場をめぐる大混乱は、オリンピックが抱え込んできたゆがみ、ひずみが噴き出した象徴的な例のひとつなのである。

 そもそも、冷静に考えてみればすぐにわかることだ。8万人収容などという規模、最先端の技術を惜しげもなく投入する豪華さなどが、スポーツの競技場に本当に必要なのだろうか。8万人が入るイベントがどれだけあるのか。それだけカネをかけて何が得られるのか。多額の維持管理費をどうまかなうのか。実のところは、もっと質素で実用的なものでもいいのではないか。単純、素朴な疑問。が、素朴であっても実はそれが常識というものではないかと思う。オリンピックだから、サッカー・ワールドカップだからという思い込みによって、ごく当たり前の常識がどこかに置き忘れられているのではないだろうか。

 ラグビーW杯まで4年。2020年オリンピック・パラリンピックまで5年。迷走を脱し、限られた時間で果たして出来上がるのか、不安は広がるばかりだ。だが、これはチャンスととらえることもできる。多くの国民が納得し、日本スポーツの拠点として長く愛されていくような、常識にかなった施設づくりへと舵を切るチャンスである。新国立競技場を、悪しきオリンピック・バブルの連鎖を断ったシンボルとできれば、そのことは世界のスポーツ界に長く記憶されるだろう。

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