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vol.639-1(2015年6月25日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−5
 「新種目」には違和感がある

 オリンピックの新種目と聞くと、何やら違和感を感じるようになったのはいつからだろうか。というのも、近ごろのそれには首をかしげさせられることが少なくないからだ。
 冬季大会を見ると、ことにそのことを強く感じる。スノーボード、スキーのハーフパイプやスロープスタイルに代表されるエクストリームスポーツ系の競技が次々と入ってきているのだが、それらがオリンピックという大会に「似合って」いるのかどうか、疑問を抱く人も少なくないのではないか。もちろん、高いレベルの技術がそこにあるのはわかる。ただ、世界のどこでも年代を問わず親しまれているかといえば、そうとはいえないだろうし、ファッションなどとタイアップしたビジネス性が強いように見えるのもどうかと思う。なにより、徹底した論議の結果というのではなく、華やかさや流行やテレビ映りのよさといった上っ面で採用が決まっていっているように思えるところが気にかかるのだ。

 「若者のスポーツ離れを食い止めるため」とIOCは言う。そのために若者人気が高そうな種目を入れるという言い分だ。だが、オリンピックは若い世代のためだけにあるのだろうか。いま風の競技を増やしさえすれば若者がスポーツに興味を持つだろうか。「若者のスポーツ離れを防ぐ」意図はあるだろうが、それはどちらかといえば建前に近くて、本音はといえば、派手で見栄えがして、ビジネス的にも都合のいいものを優先しているだけではないかと勘繰りたくもなる。
 IOCは同様に、「男女平等」を掲げて女子種目や混合団体種目も増やそうとしている。しかし、まだ十分に土台ができていない女子競技もあるように見受けられるし、個人スポーツに無理やり団体種目をつくるのも、テレビ人気などを意識しているだけのように思える。リオの夏季大会では7人制ラグビーが新たに加わるが、なぜ15人制ではないのか。ラグビーの魅力は15人制にこそある。人数を増やせないというだけで7人制にするのは本末転倒というものだ。
 世界各地で幅広く親しまれているスポーツ。それぞれの文化が背景にある、歴史と伝統に培われた競技。オリンピック種目はそういうものでありたい。4年に一度、多くの競技者が全身全霊を傾けて目指す大会は、競技をする側も、それを見て楽しむ側も、ともに十分納得できる中身であってほしい。時代とともに種目が入れ替わるのは当然だ。ただ、その時々のトレンドや人気、それに伴う商売の側面だけで中身を決めていけば、一部の新規ファンは呼び込めても、ずっとオリンピックを愛してきた真のスポーツファンは離れていくと思う。

 さて、2020年東京大会の新種目である。開催国が種目を追加できるようになり、現在のところ候補は8つにまで絞られた。野球・ソフトボール、空手、スカッシュなどが有力とされており、ことに野球・ソフトボールは確実との声がある。日本がメダルを狙える人気スポーツとあって、メディアも「野球・ソフト復活」待望の大合唱を繰り広げているところだ。
 だが、野球もソフトボールも世界中で普及しているわけではない。続いて有力とされる空手も、既によく似たテコンドーが入っている。どちらも、スポーツ人やファンの誰もが迷いなくうなずける種目とは言いがたい。そもそも、この段階での種目追加や入れ替えにはかなりの無理がつきまとうのである。
 ともあれ、この選考は、それぞれの競技のプラス面もマイナス面もすべて俎上に上げてのオープンな論議のもとで進めてほしい。そうすれば、オリンピックの本来のあり方や、種目の入れ替えのあるべき形も少しは見えてくるし、今後を考えるよすがにもなる。そして選ばれた競技団体には、全力で世界中への普及活動を行ってもらいたい。それがオリンピック競技の責任というものだ。

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