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vol.641-1(2015年7月9日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−6
 見直しをためらうな

 これはこれで仕方がないと思う。2020年東京オリンピックの会場変更である。当初の計画が大幅に変わり、さらに検討が続いているのだが、なんにせよ、それが多額の費用削減につながるのなら、変更もやむを得ないだろう。

 大会組織委員会は、会場の新設や仮設を取りやめて既存施設に変えるなどしてバスケットボール、バドミントン、セーリングなど10競技の会場変更を行い、IOCもこれを承認した。これによって2140億円の経費削減が実現するとされている。さらに自転車など2競技でも変更の検討が続いている。抜本的という言葉が使われるほど大がかりな見直しが行われたというわけだ。
 もちろん批判は少なくない。そもそも東京は都心の8キロ圏内に多くの競技会場を集中させる「コンパクト五輪」を招致の売り物のひとつとしていたのである。バスケットボールがさいたま市に、セーリングが神奈川県の江の島に、レスリングなどが千葉市に変わったように、一連の変更ではそれがあっさりと空手形になってしまった。新設を既存施設に変えたのも含め、公約違反という批判は甘んじて受けねばならない。競技団体からの反発が強いのも当然だろう。
 しかし、それでも実際に大幅な経費削減が可能になるのなら、変更はやむを得ないし、実行をためらうべきではない。オリンピックは夏冬ともにあまりにもカネのかかる存在になってしまっている。これほど世界経済が不安定な時代に、そんないびつな形を続けてはならないし、また続くはずもない。多額の費用を投入して多くの会場を新設するなどという発想は、既にして時代遅れなのだ。だからこそ、IOCも遅ればせながら、手のひらを返したように「アジェンダ2020」を出して経費節減や既存施設の活用を呼びかけたのである。

 オリンピックのためにつくられた豪華施設が、大会後は多額な維持費を要するだけのやっかいものになっている例が少なくないのはよく知られている通りだ。2004年大会が開かれたアテネでは、当時の会場が荒れ果てて廃墟のようになっているという。現地では、それが現在のギリシャ危機の象徴のようにも見えているだろう。教訓とすべき失敗、学ぶべき前例はいくらもある。
 「選手第一」の観点から、会場が遠くなるのは問題だとの声もある。が、変更をひとつひとつ見ても、移動がそれほど大きな負担になるとは思えない。許容範囲ではないか。

 IOCはずっと、最高レベルの最先端施設を強く求めることでオリンピック開催地に多額の出費を強いてきた。招致する側もそれに応じて、あえて無理とも思えるほどの計画を立ててきた。時代に逆行し、国の財政や市民生活を圧迫するような路線を推進してきた双方の責任は厳しく問われなければならない。が、その一方で、今回のような経費節減の方向性は評価すべきだと思う。たとえ無責任な手のひら返しの結果だとしても、それはいまのオリンピックが陥っているゆがんだ姿をただすための一歩になり得るからだ。
 会場だけではない。運営についても、たとえば開閉会式などのセレモニーについても、あらためて見直したらどうか。きっとあちこちに削るべき無駄が隠れている。もはや、カネに糸目をつけずに豪華絢爛たる大会を開けば成功とされるオリンピック・バブルは終わらせねばならない。2020年の東京がさまざまな形で経費削減を行い、今後のためのひとつのモデルケースになれたとすれば、それは現在のオリンピック運動のためのきわめて貴重な貢献といえる。

 ひとつ、つけ加えておこう。現行案のままで進められつつある新国立競技場建設も例外ではない。これほど批判を浴びる中でメーン会場が生まれるのは悲しすぎる。これもまた、必ずなんらかの見直しが可能なはずだ。

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