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vol.666-1(2016年2月18日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−22
  「幅広さ」をこそ伝えたい

 オリンピックをめぐるメディアのあり方については、いろいろと言わねばならないことがある。自分も長くその一員だったのだから、これは自らの反省も含めてということになるが、根本的な問題、課題が山積するオリンピック本体と同様に、あるいは時としてそれと連動する形で、メディアの姿勢、方向性にも多くの疑問やゆがみが出てきているのは否定できないだろう。
 まずは新聞を中心とする活字メディアについてみていきたい。かつてはオリンピックメディアの中核であり、テレビがそれにとって代わってからも主要な存在であるのは間違いないところだ。新聞に関していえば、オリンピックに関する報道はスポーツ分野の中心のひとつであり、大会期間中ともなれば、夕刊朝刊合わせて数ページ、場合によっては計10ページほどにも及ぶ五輪特設面が展開される。世界を見渡しても、日本ほどオリンピック報道に多くの紙面を割くところはあるまい。1964年の東京開催をきっかけとして報道量は飛躍的に増え、ことにここ数大会では夏冬を問わず、「他にもっと大事なことがあるだろう」と批判を受けるほどの大展開が当たり前になっている。
 「他にもっと・・・」の批判はもっともではあるが、オリンピックが多くの人々の一大関心事である以上、報道量が増えるのもあながち間違いとはいえない。ただ、問題は「何をどう伝えるか」ということにある。その、もっとも根本的なところがしだいにずれていっているという疑問は拭えない。
 オリンピックの最大の魅力は幅広さにある。多くの競技、多くの参加国、多くの選手。さまざまなスポーツがそれぞれに持つ多彩な面白さ、さまざまな文化や民族性が競技を通して融合する多様さこそが、オリンピックならではの魅力なのである。となれば、メディアは何よりそこを伝えねばなるまい。
 が、現実はそうはなっていない。いわゆる人気競技のスター選手ばかりが取り上げられるのが象徴しているように、報道の幅がきわめて狭いのである。それも、「テレビ的な」人気競技やスター、すなわち、画になりやすい、派手で人目を引く、言ってみればアイドル的なところに集中しがちになっている。つまり新聞はテレビに追随しているというわけだ。それではオリンピックの多様な魅力を伝えているとはいえない。
 人気者やスターには注目に値する輝きがあり、それを報道するのは当然のことだ。ただ、オリンピックという大きな枠組みには汲めども尽きない魅力があふれている。どこをどう切っても面白く、興味深いものが出てくるのである。それを幅広く読者に提供していこうという努力や意欲があまりみられないのは、いかにも残念なことと言わねばならない。
 日本勢の勝敗ばかりに取材が向かっているのも物足りない。これには言葉の壁という難しい問題もあるのだが、「世界が集まる」大会としては、もっと取材対象を広げるべきだろう。オリンピックは、読者にとってもメディア側にとっても、異文化、知らない世界へと分け入っていく格好のチャンスなのだ。日本勢のことしか伝えないのでは、オリンピックの魅力を半分しか味わわないのと同じことになってしまう。

 もう一点、新聞のオリンピック報道に求めたいのは、より強い批評性である。現在のオリンピックが数々のゆがみやひずみ、本質的な諸問題を内包しているのは誰の目にも明らかだろう。なのに、新聞各紙はあまりそこを論じていないように思える。もちろんそれらへの指摘も少なくはないが、どちらかといえば、現状肯定、あるいは現状追随のうえでの対応と思えなくもない。オリンピックの現状やIOCの姿勢については、もっと厳しい指摘があってしかるべきではないか。主要紙は東京2020のオフィシャルパートナーに名を連ねたりもしているが、よりよい大会を実現するためにも、的確な批判は力強い推進力のひとつとなるはずだ。
 そして、オリンピックとメディアという観点から何より論じねばならない点は、もちろんテレビのことである。それについては次回に。

 古き良き時代を象徴するものとは、すなわち、いまの時代が失いつつあるものでもある。時代が変わればスポーツや競技者の姿も変化していくのは当然だ。が、いまのスポーツ界に、これほど豊かな人間性を感じさせる人物が何人いるだろうと考えると、ちょっと寂しくもなる。巨大ビジネスとしてスポーツが栄え、選手たちの多くもプロ的に競技のみに専念する現在だが、だからといって、かつての良きものをすべて忘れ去ってしまっていいということではない。それではスポーツ本来の味わいや魅力もしだいに薄れてしまうことにもなるだろう。
 一月末に八十九歳で亡くなった堀内さん。その足跡やいろいろと聞いた話を思い出すにつけ、いまのスポーツ界のありように自然と思いは移っていく。現在のオリンピックやオリンピアンのあり方についても、これでいいのだろうかと考えないではいられない。堀内浩太郎さんが体現していたものは、二十一世紀の「五輪の風景」にも生きていてほしいと強く思う。

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