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vol.681-1(2016年7月21日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−33
  乱暴に扉を閉めた国際陸連

 マルクス・レームがリオオリンピック出場を断念したというニュースには、実に腹立たしい思いをした。国際陸連には障害者スポーツに対する理念も共感も乏しいのではないか。
 このドイツの義足ジャンパーは、走り幅跳びで健常のトップ選手と互角の実力を持つことで知られている。ベストはなんと8メートル40。これはロンドン五輪の優勝記録を9センチ上回っているのだ。27歳のレームは、14歳で右脚をひざ下から失った。そこで下腿義足を使い、パラリンピックをはじめとする障害者の大会で、T44というクラスの競技に臨んでいる。それで世界のトップジャンパーたちと同様の、あるいはそれ以上の跳躍を披露しているのである。
 障害者大会では飛び抜けた実力を、もっと上のレベルで試してみたくなるのはアスリートとして当然のことだろう。必然的にその目は一般大会の頂点へと向き、2014年にはドイツ陸上選手権に出場した。観客も関係者も驚きを隠せなかったに違いない。8メートル24で優勝したのはレームだった。レベルの高いドイツの陸上で、義足選手が文句なしのチャンピオンに輝いたのだ。
 となれば、次の目標はオリンピック出場のほかにない。既に短距離では、両脚が下腿義足のランナー、南アフリカのオスカー・ピストリウスがロンドン大会に出場を果たしている。レームがリオ五輪を目指したのはごく自然な流れといえる。
 ところが、国際陸連はレームに対して過酷な要求を示した。走り幅跳びにおいて義足の優位性がないことを、選手自身が証明しなければ参加はできないと申し渡したのだ。
 陸上競技用の義足はカーボンファイバーでできており、板バネと呼ばれることからわかるように強い反発力を持っている。競技の場でそれがどれほどの効果を発揮するのか、生身の脚に対して優位性があるのかどうかが厳密に調査されるべきなのは当然だ。障害によって失われた機能を補うものということで、そのあたりをおろそかにするわけにはいかない。そうでなければ公正な競技は成立しない。ただ、なぜその証明を選手個人に押しつけねばならないのか。
 それには専門家集団による科学的な調査研究が必要になる。費用も時間もかかる。レームは専門家の助けを得て、優位性はないというデータを発表したが、国際陸連は十分な証明がないとして出場可否の判断を持ち越した。そのためレームは自ら出場を断念したのだ。それはそうだろう。専門家の協力があったとしても、あらゆる角度からの詳細な調査など、選手一個人にできることではない。優位性がないという証明を選手側がせよということを国際陸連が参加条件にした時点で、もうレームの出場は事実上不可能になっていたといえる。
 レームは今後、国際陸連の作業部会のメンバーとなって優位性の有無の検証に加わると報じられている。そうした作業部会が設置されているなら、なぜ国際陸連は組織として検討を急がなかったのか。国際陸連ほどの大組織であれば、さして時間もかけずに一応の結論が出せたのではないか。そのあたりの事情はわからないが、ここまでの対応には、重い障害がありながら並外れた努力でここまで上り詰めてきたアスリートの目の前で、なんとも乱暴に扉をぴしゃりと閉めたという観がある。
 今後、詳しい調査があらためて行われるだろうが、いま、この時点でもはっきりとこう言える。板バネの反発力によるプラスなど、競技用義足を使いこなす難しさに比べれば、ほんの微々たるものに過ぎない。
 湾曲した板状の義足。初めてつけた時は、静止して立つこともできないと経験者はいう。ゆっくり歩くことさえ、しばらくはおぼつかない。しかも、最初は装着して動けば痛みがあり、切断端から出血もする。それに耐え、義足で動くための微妙なバランスを身につけて、小走りからゆっくりの走り、普通の走りへと少しずつレベルを上げていかねばならないのだ。まして、それで全力疾走したり、助走から踏み切って跳ぶなどということがどれだけ困難かは、ちょっと考えればすぐにわかる。
 確かに板バネにはプラスもある。走り幅跳びでいえば踏み切りがそうだろう。が、そこにも、自分の生身の脚でない方で小さな踏み切り板を正確にとらえる難しさがある。いずれにしろ、競技用義足をつけて健常のトップレベルと同様のパフォーマンスを実現する困難さ(ほとんど奇跡と言っていい)に比べれば、そんなものは優位性などとは到底言えない。レームやピストリウスは、何十万人に一人というような奇跡を可能にした、実に実に稀有な存在なのである。
 もちろん科学的な検証はきちんと行われなければならない。今後、どういう義足が出てくるかもわからない。厳密なルールは必要不可欠だ。ただ、現時点でいえば、結論ははっきりしている。マルクス・レームはオリンピックにふさわしいアスリートだった。

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