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vol.689-1(2016年9月29日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−39
  「大好評」、でも何が伝わった?

 リオデジャネイロオリンピックの閉会式で行われた「TOKYO2020」のPRパフォーマンスが大好評だ。海外での評価も高いという。これを絶賛するテレビ番組も目にした。
 そうだろうか。そんなに素晴らしかったのだろうか。
 オリンピック旗のハンドオーバーセレモニーに続く8分間のショーは、確かによくまとまっていた。スピード感も躍動感もあり、多彩かつ斬新な映像で見る者をひきつけ、マリオに扮した首相というサプライズも用意して人々を驚かせた。広い競技場で行われる短いイベントという制約がある中では、まず上々の出来栄えと言って差し支えない。
 が、どこかに物足りない感じがあった。「では、TOKYO2020はこれで何を伝えようとしたのか」という疑問が残ったからだろう。
 オリンピック旗の引継ぎ式に続くパフォーマンスというのは、最近の例を思い出してみると、だいたいが同じような傾向のものとなっている。その都市、その国固有の文化や風俗を強調したショータイムということだ。場合によっては、そこに国威発揚的な要素がつけ加えられる。世界的な有名人を登場させることも多い。つまりは、「こんなに素晴らしい街(国)が、総力を挙げて大会を開きますよ」と華やかにアピールして終わりというわけである。
 ただ、これはそういう場なのだろうか。本来は、「我々はこんなオリンピックを開きたいのだ」と、開催の理念や精神、望んでいる大会像などをそれぞれに披瀝する舞台でもあるのではないか。ただのショータイムなら、わざわざ閉会式のクライマックス近くに時間をとって行うまでもない。これはもっとオリンピック運動に直結する内容であってほしいと思うのだ。
 リオでのPRパフォーマンスにはそれがなかった。「最新テクノロジーでスポーツを新しくする」「東京は世界中のアスリートを応援する」などのメッセージが込められているというが、オリンピックがさまざまな課題に直面しているこの時代に、どんな大会を開こうとしているのかというあたりは何も伝わってこなかった。それらを具体的に示してみせるのが、口で言うほど簡単でないのはわかる。とはいえ、オリンピックが曲がり角に差しかかっている中、「これからのオリンピックはこうあるべきだ」の主張が何もなかったのにはいささか寂しい思いがした。
 何を伝えようとしたのか、という疑問にはもうひとつの面もある。あのPRに出てきたのは、まとめていえばアニメとゲームとハイテクだろう。つまりそれは、いま海外で日本のイメージとされているものばかりだ。それでは、日本が、東京が伝えたいことというより、世界が日本に対して抱いているイメージをそのままなぞっただけとなりはしないか。
 アニメもゲームも有力なコンテンツには違いない。が、日本には他にもいくらも多彩な文化があるはずだ。まだあまり知られていないが、もっと世界に伝えていきたいと思うことも多いはずだ。確かによくできたショーだった。が、「いかにも」のつくりでもあった。華やかなショーとしては楽しめたかもしれないが、東京ならではのしっかりしたスピリットなり理念なりが世界に発信されたのかといえば、そうは言えないように感じる。
 オリンピックがスポーツの祭典というより、巨大ビジネスの舞台でもある国家イベントと化して久しい。それとともに、オリンピック本来の精神や、その本当のよさ、面白さがどこかへ置き忘れられつつあるように思えてならない。次期開催地のPRパフォーマンスも、そんな状況を反映しているように見える。

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