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vol.705-1(2017年2月10日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−48
  忘れたくない「その言葉」

 岡野俊一郎さんが亡くなった。「古き良き」スポーツ人がまた一人去っていったのに、深い淋しさを感じないではいられない。
 IOC委員を20年以上務めた。JOCで40代から総務主事、専務理事を歴任した印象も強い。一方、日本サッカー協会会長としては、2002年ワールドカップ日韓大会の開催、運営にあたった。コーチを務めてメキシコシティ―オリンピックの銅メダル獲得に貢献して以来、ずっとトップの一人として牽引してきたサッカーの世界はもちろん、スポーツ界全体からみても、また日本のオリンピック運動にとっても、その存在は常に重く、大きかったと思う。
 温厚な物腰。冷静な語り口。強引にものごとを運ばず、各方面をうまく調整していくスタイル。そんな人柄から、強いリーダーというイメージはなかった。もっとリーダーシップを発揮してほしかったという声もあったように思う。とはいえ、岡野さんの存在感がいつも大きく、トップの座を離れた後も誰もが一目置いていたのは、やはりそこにスポーツ人としての確固たる芯が通っていたからだろう。
 岡野さんの話で何より印象に残っているのは、しばしば「スポーツマンシップ」という言葉を口にしていたことだ。選手としてのあり方、試合に臨んでの節度あるマナーといった一般的意味はもちろんだが、それだけではなく、スポーツ人として何を考えていくべきか、どう筋を通していくべきかという広い意味合いも、そこには込められていたように思う。成績や人気はむろん大事、ビジネス面での繁栄も大切だが、まずはスポーツそのもの、競技そのものを第一に考えていくという姿勢を保ち続けていたのが、その言葉に表れていたようにも感じるのである。
 選手時代からスポーツの世界に深くかかわってきた一方で、老舗菓子店の経営者でもあり、文化や芸術にも関心を寄せる幅広い知性も持ち合わせていた。語学に堪能で、世界中に知己がいた。そうした多彩さ、幅の広さに裏打ちされていたからこそ、スポーツに取り組む姿勢に筋が通っていたのだろう。だから、スポーツマンシップという、ある意味では使い古された抽象的な言葉も新鮮に、具体的な意味あるものとして響いた。「古き良き」と評するゆえんである。
 ちなみに、選手時代のポジションはFWだった。その雰囲気から、中盤で攻撃や守りを統括するMFを連想する向きも多いだろうが、実際は鋭い動きでゴールに迫るストライカーだったというのだ。そのあたりは、柔らかな物腰ながらも、内に秘めた強さ、厳しさを時に垣間見せていたことにつながっているかもしれない。
 ひるがえって、いまのスポーツ界を見てみよう。スポーツマンシップなどという言葉をさまざまな論議の中で聞くことはあまりない。複雑かつ重層的な社会の中でスポーツも複雑多様な側面を持つようになり、そんな古めかしい、単純な言葉の入り込む余地などなくなっているのだろう。が、そんな時代だからこそ、かえって本来の単純素朴な原点が意味を持つのではなかろうか。スポーツマンシップという言葉が含む奥深い意味を、いまこそかみしめる時ではないか。
 オリンピックもサッカーW杯も、巨大スポーツイベントはみなビジネス中心となり、ドーピング問題や組織の腐敗などにもまみれて、原点など遠く霞んだままになっている。岡野さんをはじめとする古き良きスポーツ人たちは、競技の繁栄を喜びながらも、どこかで顔をしかめていたように思う。彼らが、やはり忘れるわけにはいかないものとして、いつも心のどこかにしまっていた「スポーツマンシップ」は、これからの世界のスポーツ界に、もちろん2020TOKYOにも、なんらかのヒントとなるはずだと思うのだが、さて・・・。

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