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vol.748-1(2018年4月5日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−79
 よけいなものを背負わせるな

   IOCのトーマス・バッハ会長が北朝鮮を訪れた。北朝鮮側は、2020年東京夏季大会、2022年の北京冬季大会への参加に前向きとの意向を表明したという。国際スポーツ界にとって大きなニュースなのは間違いないが、この出来事を簡単に論評するわけにはいかない。北朝鮮をめぐる問題は複雑で混沌としており、オリンピック参加の一事をもって軽々に論じられるような状況ではないからだ。各メディアも、これをどう評価すべきか、やや首をかしげながらの報道だったように見える。
 ただ、こうして国際情勢とスポーツのかかわりを考える機会には、このことをあらためて胸に刻んでおきたい。オリンピックと「政治」の間には常に一線を画しておかねばならないという基本原則は、どんな時でも変わらないということだ。
 もちろんオリンピックが、いわゆる「政治」とまったく無縁でいられるわけはない。国際情勢の大波に否応なく翻弄されるのを避けられない場合も少なくないし、一方、差別などへの抗議を政治活動と解釈されてしまうこともある。一線を画すといっても、その「一線」をどこにどう引くかは単純には決められない。とはいえ、オリンピック開催や大会への参加が、時の政権の基盤強化の思惑や軍事面での駆け引きに利用されるようなことがあってはならないだろう。たとえば、先ごろの平昌冬季大会をめぐる韓国と北朝鮮の動きには、それらが色濃くにじんでいたのではないか。そうした政治利用はできる限り排除していく必要がある。
 そこであらためて肝に銘じなければならないのはこのことだ。いつもこの欄で語っているように、オリンピックはスポーツの祭典としての原点を常に忘れないようにしなければならない。時代によって姿が変わっていくのは当然としても、その原点にはできるだけ近づけていかねばならない。世界中のアスリートが集まってフェアに競い合うという純粋さが出発点だからこそ、オリンピックはこれほど長く世界中で愛されてきたのである。それ以外のことをみだりにオリンピックに持ち込もうとしてはならない。
 ことに、政治的な動きが入り込んでくれば、それは一回限りでは終わらず、必ず連鎖することになる。そうなればオリンピックは大きく変質せざるを得ない。これまで、オリンピックは何度となく政治ときわどいせめぎ合いを繰り返してきた。その中で、危ういながらも独立性を保ち、政治の波にのみ込まれまいとする努力が積み重ねられてきた。今後もそれは必須だ。この点についての姿勢と意識は厳格でなければならない。
 そしてIOCは防波堤としての役割を負っている。政治利用の動きをいち早く見抜き、はね返していくのはまさしくIOCの責務だ。そのためには「厳しく一線を画す」明確な姿勢を常に示しておくことが求められる。
 そうした観点から、会長による今回の北朝鮮訪問をあらためて見てみたい。平和構築への一助にという意図ではあろうが、複雑な要素がからみ合って緊迫の度を強めている政治の舞台に自ら上がっていったように見えるのにはいささかの疑問を感じる。何ごとからも独立しているはずの存在が、自ら求めて国際政治のプレーヤーになろうとしているようにも思えてしまう。これはどう評価すべきなのだろうか。関係国による虚々実々の駆け引きが続く北朝鮮情勢の中で、このことがどのような影響を及ぼすのだろうか。いまのところ、明快な分析や評価はしにくいように思うが、それはともかく、今回のIOCの動きになにがなしの違和感を覚えたスポーツ関係者もいたのではないか。
 何度も繰り返すが、オリンピックはスポーツ大会としての本質を堅持していてほしい。政治やビジネスをはじめとする種々の重荷を過度に背負わせるべきではない。世界のさまざまな国、さまざまな民族、さまざまな文化から分け隔てなくスポーツ人が集まってフェアに力を競い合うという一点に徹すればこそ、何ごとにも左右されない世界共通の宝として幅広く尊重されるのである。そこに徹すればこそ、利害抜きで多くの人々の心を動かす力が生まれるのである。そのことをおろそかにはしてもらいたくない。
 政治やビジネスだけのことではない。スポーツ以外のことを過度に背負わせないという点でいえば、「平和」や「教育」をことさらに持ち込む必要もないと思う。平和の希求や教育の場としての意味合いをオリンピックの主目的とする論も多いが、それらは往々にして抽象的な観念論にとどまっているように思える。万民のためのスポーツの祭典、すなわち、何ごとにも影響されない独立独歩、世界共通のスポーツ大会に徹していれば、そこにはおのずとさまざまな成果が生まれるはずだ。平和も教育も友好親善もおのずとついてくるはずだ。
 これは青臭い書生論でも単純な理想論でもない。オリンピックによけいなものを背負わせ過ぎれば必然的にゆがみやひずみが生ずるのは、ビジネス優先が行き過ぎた現在の姿が示している通りだ。オリンピックを世界の宝として保っていくためには、シンプルな原点を常に忘れない姿勢が必須なのである。IOCをはじめとする国際スポーツ界には、何よりもまずその意識を持ってほしい。

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