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100号記念メッセージ
150号記念メッセージ

■vol.153(2003年7月2日発行)

【杉山 茂】 32−36−32、FIFA良識の決着
【佐藤次郎】 100メートルの7分40秒


32−36−32、FIFA良識の決着
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

国際サッカー連盟(FIFA)が、辛くも“良識”を保った。

2006年のワールドカップ(ドイツ)参加国数を、98、02年同様「32」で落ち着けたのである(6月28日、FIFA理事会)。

昨年12月の理事会で、南米勢が「36」を提案、その流れが急となったが、一方で、大会の質が薄められる懸念や、決勝トーナメントの進出に公平感を打ち出しにくいことなどがあげられていた。

私も、いかに世界のレベルが平均化、伯仲化してきたとは云え、2大会でまたまた参加への道を拡げるのは安易すぎる手だと思った。

国際スポーツ連盟は、人気や収入増に乗じて、さまざまな形で“水増し”といえる拡大策を図るが、自らの誇りある質を、軽く安いものに落としこんでしまうことに気がつかない。

こうした“改正”は、テレビ界が望むかに伝えられるが、けして、そうではない。

頻度の高さは、鮮度や関心度とは必ずしも正比例しないからだ。

参加国数が多ければビジネスが拡がる、というものでもない。ワールドカップは、すでに、参加(出場)していない国のテレビ界にとっても、放送権料は充分すぎるほど高額である。

広告の画面露出というメリットのあるスポンサーは値上げを警戒しよう。

それよりも、濃厚な競技の質が欲しいのである。

国際オリンピック委員会(IOC)のジャック・ロゲ会長が、オリンピックの「規模縮小」に意欲を燃やすのも、このあたりの“引き締め”にある。

今回のFIFAの決定の経過で、テレビ界が「36」に難色を示したことがあげられている。

1つは、国際映像の制作費がかさむことがあるが、予選リーグの1組(4ヶ国)増は、さほど興奮するアイディアではない。それよりも、スムーズなベスト16進出の現行方式ほうが、熱狂を“持続”させられるのだ。

「36」案では1ヶ国の出場枠が与えられることになっていたオセアニアゾーンが、これまでどおりの0.5(いずれかのゾーンとのプレーオフ)に戻されてしまったのは気の毒だが、ワールドカップの権威、価値を保つためには、現状の力では仕方がないのではないか。

オセアニアに0.5を納得させるため、同ゾーンで各ゾーンの代表(アジアの場合、予選5位国)をオセアニアに集結させて「プレーオフ」を開く計画が水面下で検討されている。

オセアニアは、大会での諸収入を得られる仕組みだ。

FIFAに限らず国際スポーツ界の“良識”には、それを保つための老かいな手段がいつも用意される。

時に、そのシナリオを読むのは、試合同ようの面白さがある−。

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100メートルの7分40秒
(佐藤次郎/スポーツライター)

薄曇りの日曜日の午後。東京・駒沢の陸上競技場。

彼は100メートルのトラックにいた。

小さな車輪のついた歩行補助具に座る形でかろうじて体を支えつつ、トラックに触れている両足の先でわずかに路面を蹴り、少しずつ、また少しずつ前へと進んでいく。

ちょっと進んでは下を向いて止まり、息を整えてからわずかな前進をする。そんな動きがずっと続いていた。

東京都の身体障害者陸上大会である。トラックの100メートルは、主に脳障害によって体が不自由な人々のクラスに入っていた。

このグループは人数が多く、いくつもの組が次々にスタートしていく。障害の程度はさまざまだった。

ハンディの少ないランナーがなかなかのスピードで走ったかと思うと、足の運びがかなり不自由な選手が、それでも一生懸命に進んでいき、また補助具や杖を頼りに100メートルを相当の時間をかけて歩いていく者もいた。

何組目かに、その若い養護学校生がいた。同じ組の他のメンバーがすべてゴールに入った時、彼はまだスタートから10メートルほどのところにとどまっていた。

すぐそばに付き添いの男性がいて、止まってしまうたびに声をかけて励ます。おそらく、ちょっとずつ地面を蹴るだけでも、ひどく疲れてしまうのだろう。必死の歩みはほとんど進んでいかなかった。

あまりに痛々しく、苦しげな姿に気づいたスタンドの関係者は、息をつめてトラックを見つめた。

その大会に出向いたのは、レベルの高いスプリントに挑む義足のランナーを見るためだった。それが終わった後の、ハンディの大きい選手たちのレースは、ただなんとなく眺めていただけだった。だが、その遅々とした歩みを見つけた後は、もう目を離すことができなかった。

見ている方がつらくなるような光景だった。

しかし、彼は前進をやめなかった。すぐに止まってしまっても、付き添いの励ましの声に後押しされるように、また足でトラックを蹴った。いつ終わるともわからない彼の100メートルは、ひどく痛々しく、が、どこかに見る者をひきつけるものを秘めていた。

スタンドには関係者とひと握りの観客がいるだけだった。彼の戦いに気づいた者たちは拍手を送り、「頑張れ」と声を張り上げた。時にトラックからはみだしそうになり、しばしば小休止をとりながらも、前進はやまなかった。

長い長い戦いは、それでもやっと終わろうとしていた。と、ゴールラインに歩行具の前の車輪がかかったところで、また歩みは止まった。トラック競技では、選手の胴体がラインを通過しなければゴールとならない。彼がまた動き出した時、見守っていた者は一様にほっと息をついた。

ゴール。ささやかな、だが、この日最大の拍手が湧いた。

彼はついに100メートルを進み切った。他の参加者たちと同じように、また疾風のように100メートルを走り切るトップスプリンターとも同じように、レースをフィニッシュしたのである。

計時担当役員にタイムを聞いてみた。いったいどれくらいの時間が過ぎたのか、見当もつかなかった。

 「7分40秒でした」と役員は少し興奮した声で言った。彼もまた、計時の任に当たりつつも、この奮闘を力をこめて見つめていたに違いなかった。

障害者のスポーツを見ていると、息苦しくなる時がある。障害が重い人々が必死に頑張る姿は、時に目をそらしたくなるものでもある。が、じっと視線を据えていると、しだいに何ともいえない気分が湧いてくるのが感じられる。

勇気を与えられる、とでも言ったらいいだろうか。トライすること、そして、どんなことでもやってみれば道が開けるということを、彼らはいつも教えてくれる。

見終わった後、いささかでも元気が出るのは間違いない。勇気や元気をもらいたかったら、彼らのスポーツ大会に足を運んでみることだ。

7分40秒。

長い長い戦い。ゴールした彼がどう思ったのかはわからない。ただ、スタンドで見守った者は、それぞれに勇者のイメージを心に刻んだのではないか。

レースを終えた彼は、うつむいて苦しそうだった。家族や付き添いの者たちが肩を叩いて労をねぎらった。コップについでもらった冷たい茶を、彼はゆっくりと飲んだ。

素晴らしい味がしているに違いなかった。

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