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■vol.157(2003年7月30日発行)

【杉山 茂】 タイガース殿、サッカースタジアムにもお力を
【佐藤次郎】 本当に見たいものは・・・


タイガース殿、サッカースタジアムにもお力を
(杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 「パブリック・ビューイング(PV)」。昨年のワールドカップで注目された企画(催し)である。

 大型スクリーンの前に、多くの人が集まり声援を送る。

 年輩の人は、テレビ草創期の「力道山の街頭テレビ」を思い出したものだ。

 98年のワールドカップ・フランス大会の時、繁華街の広告用スクリーンの前に、続々と、日本代表のレプリカを着た人達が詰めかけ、こういう「スポーツの楽しみかた」が生まれてきたのか、と驚かされた。その時には「PV」の呼びかたはまだ無い。

 昨年、一気に話題を集めたのは「PV」が有料で、興行となる点だった。

 東京・国立競技場で開かれた日本戦のそれは、約40000人の入場があった、と主催者は発表した。

 「PV」には、抜け目なくエージェントによって権利が設定されている。

 国立競技場以外での「PV」は、ワールドカップ開催都市で無料に限られ、会場は1000人以下だの、開催回数に条件が付けられるなど、許可がおりるまでにも時間がかかった。この規制が、なんの権利を保護するためのものか、私には、分かりにくかった。有料PV権か、テレビ放送権か?

 「PV」が興行面で興味をもたれ、その後、スポーツや音楽などで企画する動きが伝わったが、具体化せず、ワールドカップ級の超大型イベントでなければ難しいのか、と思われた。そうなると日本は“品不足”だ。

 それが突然のように、8月末、埼玉スタジアム2002で、セ・リーグ阪神―巨人戦(甲子園球場)の「PV」が行なわれるという。

 日本経済新聞7月29日付(首都圏経済面)によれば、希望者は1人1000円で入場できる。

 “阪神人気”にあやかっていささか下火の「プロ野球再興プラン」かと思ったが、スタジアム収入増を狙ったけなげな発想らしい。

 ワールドクラスのサッカー専用スタジアムと華々しくデビューしたものの、サッカーだけでは管理コストをまかなえず、タイガースのパワーにすがることになったものだ。

 球団側の協力やテレビ放送権など取り巻く制約とどのような折り合いがついたかは詳らかではないが、企画はともかく、早々と「ワールドカップサッカースタディアム」がこうした苦肉の策に踏み切らざるを得ない“経営事情”は、前途の険しさを感じさせる。

 それみたことか、と識者と呼ばれる人たちの声が聞こえてきそうだが、ネーミングライツ(命名権)を含めたスポーツ施設経営、「PV」、「クローズドサーキット」などスポーツマーケティングに新展開を促すのなら、この六甲おろし、いい風ととらえたい―。

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本当に見たいものは…
(佐藤次郎/スポーツライター)

 間もなく陸上の世界選手権が始まる。第9回のパリ大会、8月23日開幕。見ごたえ十分の楽しい9日間になるだろう。ただし、気がかりが、それも大きな気がかりがひとつある。
 
 単一競技の大会なので集中して見ることができる。陸上だけとはいえ、多彩な種目があって、さまざまな角度からも楽しめる。世界陸上はスポーツ好きにはこたえられないイベントだ。

 走る、跳ぶ、投げるという動作はわかりやすいが、その分、奥が深いものでもあり、それを世界のトップアスリートたちがやってみせるのだから、これはもう面白くないわけがない。なのに、気がかりがあるというのは、ほかでもない、日本のテレビ中継が例のごとくの様子だからだ。
 
 いつからこうなってしまったのだろう。日本のテレビも、最初のうちは、世界最高のパフォーマンスをありのままに映し出していたように思う。それが、いつの間にかバラエティ・ショーのごとき番組になってしまった。

 タレントや俳優が次々と現れて、司会進行や長いおしゃべりをする。妙なドラマ仕立ての演出をやたらと盛り込む。アナウンサーはひたすらオーバーな表現を叫ぶばかり。腹の立つことに、前回あたりからは専門家である解説者たちも、それに合わせたしゃべり方をするようになった。
 
 いったいなぜ、と言えば、テレビ側はすぐさまこう言うだろう。「スポーツに興味のない人にも親しみを持ってもらうためです」。しかし、もちろんそんなことはない。

 素晴らしい競技の映像と的確なアナウンス・解説があれば、それだけでたいがいの人々をひきつけるのは間違いない素材なのだ。むしろ、スポーツ本来の魅力をお笑いバラエティまがいの演出で消してしまうマイナスの方がずっと大きいのは目に見えている。

 こうした、なんともおかしな番組づくりは、制作する側が、ただ安易にバラエティ全盛の風潮に乗っているだけだと思う。
 
 場違いなおふざけ。オーバーで中身のない言葉の羅列(局は違うが、世界水泳でも厳しい批判が出ていた)。日本選手であれば大げさに持ち上げ、本当にいいパフォーマンスを丁寧に紹介しないもったいなさ。それは空虚としか言いようがない。

 音を消してもタレントたちが画面を占拠していれば、見る気が失せてしまう。こんなに魅力的なイベントを、そのまま味わうことができないとは、なんと不幸なことだろう。
 
 これは個人の好き嫌いではない。スポーツ中継とはどういうものなのか、何を伝えるべきなのかを少しでも考えてみれば、たちどころにわかる。

 スポーツ中継は、スポーツの本質と魅力を伝えるためのものなのだ。日本のテレビがやっていることは、スポーツそのものに対する、また必死に自らの能力を伸ばし、磨こうとしているアスリートたちへの、まぎれもない冒涜である。

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