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■vol.176(2003年12月 5日発行)

【佐藤次郎】 この大男たちにねぎらいの拍手を
【岡 邦行】 日産野球部初Vの意味‥



この大男たちにねぎらいの拍手を
(佐藤次郎/スポーツライター)

 横綱武蔵丸が引退し、曙も相撲界を去った。そこであらためて思うのは、違う文化の異国からいきなり未知の異質な社会に放り込まれ、たった一人でその世界に適応するまでの、彼らの並々ならぬ努力のことだ。
 
 彼らには日本人には望めない巨体とパワーがあった。昇進も早かったし、ハワイの先輩たちもいた。しかし、長い伝統によって培われてきた独自のしきたりと雰囲気が相撲界には満ちている。もちろん英語など誰もしゃべってはくれないだろう。まったく違う文化で育ってきた十代の若者が、そんな中で厳しい稽古と勝負の日々を過ごしていくのである。いくら肉体的に強かろうと、その精神的な苦闘がどれほどのものだったかは容易に想像できるところだ。
 
 体に恵まれていても、昇進が早かろうと、異質な文化と生活を否応なく受け入れねばならないつらさが消えるわけではない。それに耐え、独自の相撲文化を積極的に吸収して、彼らはついに横綱という最高位に上ったのだ。この努力はいくらたたえてもいい。彼らに限らず、外国からやって来て大相撲に取り組む力士たちはみな、日本人とは次元の違うつらさを味わっていると言っていいだろう。
 
 だが、武蔵丸や曙のそうした努力はさほど認められてこなかったようにも思える。彼らについては、その恵まれた体の有利さばかりが強調され、のちには、力士の肥満傾向の元凶のように扱われてきた。たしかにそうした側面があるのは否定できないが、彼らの人間性や、異文化に馴染んできた必死の努力までも否定するような論調には首をかしげたものだ。
 
 彼らは常に、若貴をはじめとする日本人力士の敵役として扱われてきた。大きな体のパワーだけで相手を押しつぶそうとするヒールというわけだ。そして、下半身のもろさをつかれて土俵に崩れ落ちようものなら、遠慮のない嘲笑が浴びせられた。だが、母国では想像もできないような異文化に適応し、他の競技とは違う体の使い方も身につけて、最高位まで上ってきた彼らの足どりに少しでも思いをいたす想像力があったら、彼らをただの敵役、ヒールとして見ることなどできなかったはずだ。
 
 そうして彼らは長く大相撲の土俵を支えてきた。その相撲ぶりにはさまざまな評価があるだろうが、少なくとも横綱として大相撲に大きく貢献してきたことを忘れてはならない。
 
 しかし曙はついに相撲界を去った。いろいろな事情があるのだろうが、ともかくも、大相撲の世界はこの人材を生かし切れなかったということだ。相撲界は最後まで、彼らのような存在を、よそからやって来たガイジンとしか見ていなかったのではないかという思いもする。
 
 ともあれ、曙は格闘技という新たな世界へ挑むことになった。彼の頑張りに声援を送ってきたスポーツファンたちは、こぞって成功を祈っているはずだ。

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日産野球部初Vの意味‥
(岡 邦行/ルポライター)

 社会人野球の名門・日産が、日本選手権大会で初優勝を飾った。対大阪ガスとの決勝戦をテレビ観戦した私は、思わず泣いた。

 この7月末。私は、20年来の友人である日大野球部監督の鈴木博識とともに横浜市内の病院を訪ねた。2週間ほど前に練習中に心筋炎で倒れた小沢裕昭を見舞ったのだ。小沢は日大野球部出身。昨年春に日産に就職し、2年目の今シーズンは18番の背番号を身に付け、将来を期待されていた。

 病院には日産野球部の久保監督とマネジャー、小沢の両親がいた。鈴木と私は、両親に案内されて病室に入った。ベットに横になる小沢は無表情だ。意識不明。眠っていた。教え子を前にした鈴木は、小沢の肩に手を添えた。そして、何度も叫んだ。

 「オザワ、明日は先発だ! 頼んだぞ! オザワ、先発だ! オザワ! オザワ!……」
 
 私も心の中で叫んだ。オザワ、起きてくれ!小沢は、微かに反応した。鈴木は叫び続けた。
 
 病院には日大時代に小沢を慕っていた後輩の横浜ベイスターズの村田修一、堤内健たちが見舞った。甲府工業高時代の仲間も駆けつけた。そのたびに病室の窓を閉め、大声を張り上げた。

 「オザワさん! オザワさん!……」

 しかし、8月24日。小沢は、意識を取り戻すことなく帰らぬ人となった。
 
 小沢が倒れた際、社会人野球界にある噂が流れた。都市対抗に出場できなかったため日産は厳しい練習を選手に課したのではないか……と。ある野球関係者は、私にいってきた。確かに企業チームにとって都市対抗に出場することが最大の目標。そのため出場できなかった首脳陣や選手たちが、責任を感じて自ら厳しい練習を課したのかもしれない。しかし、その結果、小沢の死を招いたとは考えたくない。ただし、小沢が倒れたという報が社会人野球界に知れ渡ったとき、指導者も選手も厳しい練習を自ら自粛しょうと感じた。悲しいことですが、小沢の死が大きな教訓になったことは事実です……。
 
 日本選手権大会が開幕する前、日産野球部は小沢の実家を訪ねた。墓前で必勝を誓った。
 
 大阪ガスとの決勝戦。日産は延長11回に劇的なサヨナラで勝った。スコアは6対5。日大の1年後輩捕手の須田光は、小沢の遺影を抱きしめながら号泣していた。ナインは、小沢の背番号18のユニホームを掲げて胴上げした。何度も何度も……。

 サヨナラ打を放った伊藤祐樹がいった。

 「遺影の小沢は、最後には笑ってくれた……」

 久保監督も声を震わし嗚咽した。

 「我々の気持が天まで届いた……」
 
 テレビ観戦した私は、小沢の遺影と18番のユニホームを見て泣いた。日産野球部は小沢の死を無駄にはしなかった。

 小沢は、社会人野球界に大きな教訓を遺して逝った……

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