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vol.202(2004年6月 2日発行)

【杉山 茂】FIFAの「ドーピング規定」承認
【佐藤次郎】アンカツがやってのけた
【高田実彦】中日・落合監督の矛盾
【大島裕史】アジア男子バレーの今後
【岡崎満義】水泳25年目の感想

筆者プロフィール

vol.201 2004年5月26日号「五輪野球の暗雲・・・」
vol.200 2004年5月19日号「7回制ベースボール・・・」
vol.199 2004年5月12日号「サッカー選手の体力・・・」
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FIFAの「ドーピング規定」承認
杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 国際サッカー連盟(FIFA)が、ようやく世界アンチ・ドーピング機関(WADA)が認めた「統一規定」を承認した。(5月21日、FIFA総会)。

 誰もが「そんな事態にならない」と思ってはいたが、アテネ・オリンピックにサッカーが参加できない状況も、実は迫っていたのである。

 国際オリンピック委員会(IOC)が、WADAの「統一規定」を承認しないスポーツのオリンピック参加を拒む、という姿勢を強く打ち出したからだ。

 どうにか、それが収まって一息ついた感じだが、FIFAはこの運動自体を否定していたわけではない。理念の浸透にも積極的だ。

 むしろ、内外サッカー界は、アンチ・ドーピングには熱心で、FIFAも意欲的である。

 取り巻く関係者、ジャーナリストの関心も高く、02年日韓ワールドカップで毎日ソウルと横浜の両メディアセンターで開かれたFIFA定例記者会見に、私が知る限り(横浜会場に)最も多くの人が詰めかけたのはFIFA医事委員会による「ドーピングに関するリポート」をテーマとした日だった。

 Jリーグも、93年発足以来、全試合でドーピング検査を行っているが、FIFAの意向もあって、日本サッカー協会とともに、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)には加わらないままで来た。この問題も、近々に収束されよう。

 サッカー界が「統一規定」を嫌った最大点は、「違反者に一律2年間、競技会(試合)への出場を停止する」処分にあった。

 仮に違反して2年間も資格を取り上げられてしまったら、選手寿命が長いとは云えぬサッカー界では、当人はもとより、クラブもリーグも関連ビジネスも弱る。

 WADAが、この一文を改訂したわけではないのに、FIFAが承認の手を打ったのはWADAが「違反者の処分は個々のケースで判断する」と“譲歩”したからだ。

 WADAは、FIFAの判断を首肯できなければスポーツ裁判所(CAS)へ提訴できる権利を手にしたことで、FIFAの“完勝”、WADAの“完敗”とはならずに済んだが、あいまいさは残る。

 ほかのスポーツ界が「我々もFIFA方式で」と望みだすことも考えられる。

 WADAは、FIFAの主張を一蹴することもできたはずだが、やはり、オリンピックからサッカーが出ていってしまっては困る。

 小倉純二FIFA理事(日本)は「その点では、交渉が難航しても、アドバンテージはFIFAが握っていた」と言う。

 不幸にも“最初のケース”が発生した時、議論が再燃しそうな今回の決着ではないか―。

アンカツがやってのけた
佐藤 次郎/スポーツライター)

 ダービーには興奮した。5月30日、東京競馬場で行われた競馬の祭典は、それにふさわしい強力なメンバーによるエキサイティングな戦いとなったが、それに加えて私にはもうひとつの目当てがあった。安藤勝己、通称アンカツがダービージョッキーとなる瞬間をぜひとも見たかったのである。
 
 笠松競馬のナンバーワン騎手だった安藤勝己は、昨年3月、史上初めて地方競馬から中央競馬への移籍を果たした。中央と地方の交流が進む中でハイレベルな中央のレースに触れ、是が非でもそこに身を置きたいと願って、あらためて騎手試験を受け直し、かつてなかった道を切り開いたのである。40歳を超えた中年の挑戦、また地方からの挑戦という意味でも、これは実に大きな成功だったと言えるだろう。
 
 それだけではない。アンカツはスポーツマンとしても実に魅力的な存在なのだ。率直で裏表のない人柄そのままに、彼は自らの騎乗の腕だけをひたすらに磨いてきた。中央に移籍して収入は大幅に増え、最高ランクのGTレースを制覇する名誉も何度も味わうことになったが、中央入りを強く願った一番の目的は金でも名誉でもない。自分の騎乗の技をさらに高めていくこと、それこそがアンカツの挑戦の主目的だった。
 
 繊細かつパワフルなサラブレッドを御して最高の走りを引き出すのは、きわめて難しく、奥の深い仕事だ。彼はその騎乗そのものをもっともっと突き詰めていきたいがために、あえて不可能とも思われた中央移籍を目指したのである。
 
 「もっといい騎乗ができるようになりたい」「もっと面白い馬乗りをしたい」−−安藤勝己の目指すところは明快だ。地方時代から名手の名をほしいままにし、いまや武豊とも並び称されるスターともなったアンカツだが、彼は常に基本の「馬乗り」だけに集中し続けているのである。どのスポーツでも、これほどのビッグスターでありながら、これほどの純粋さを持ち続けている競技者は、ほとんど見当たらないのではないか。
 
 取材を通じてそうした人柄を知って以来、私はずっと彼に注目するようになり、かつファンとして応援し続けてきた。競馬はギャンブルとしての側面が大きいが、このジョッキーにはいつもピュアなスポーツマンとしての香りがある。また、彼の勝利や成功は、けっしてあきらめずに難しい挑戦に取り組む人々への励ましともなるに違いない。一人の騎手が加わっただけで、中央競馬の味わいが増したようにさえ思えるのは、彼がそれだけいろいろな面で際立った存在だからだろう。
 
 となれば、競馬界で最も注目される頂点のレース、日本ダービーにはなんとしても勝ってもらいたい。幸い、3回目の騎乗となる今回は、キングカメハメハという有力馬に恵まれた。安藤自身はダービーをそれほど特別視してはいない。が、私はファンとしてもスポーツライティングに携わる者としても、このように魅力的なスポーツマンにはぜひとも頂点をきわめてもらいたいと思ったのである。
 
 そして、1番人気となったキングカメハメハと安藤勝己のコンビは、トップで2400メートルのゴールを駆け抜けた。直線に入ってすぐに先頭に立ち、そのまま後続を突き放すという力強いレースだった。どんなベテランでも緊張しないではいられない、この大舞台で、ただ純粋に磨き続けてきた馬乗りの鮮やかな輝きを見せつけたのだった。
 
 レースを終えた安藤は静かな表情で馬場から戻ってきた。インタビューも落ち着いた声音だった。
 
 「まだ実感はわきません。この馬の強さを全国の皆さんに見ていただいただけで幸せです」
 
 勝ち誇るでも、手放しで興奮するでもない、穏やかな笑顔。栄光の舞台で彼はもう、次なる「もっといい馬乗り」のことを考えていたのかもしれない。

中日・落合監督の矛盾
高田 実彦/スポーツジャーナリスト)

 中日の落合監督は傍系スポーツ紙が「落合語録」を載せるなど、最近の監督の中では理論家として通っている。しかし、ときおりおかしい。いや、説明すべきことを省略して、ファンにわからないままにしているときがあって、「勝手な“オレ流”」といわれかねない。最近もこんなことがあった。

 去る5月30日である。対阪神戦の9回裏、0対0。先頭打者の井端が四球を選んだ。荒木が右飛に倒れた一死から、4番の福留がセーフティバントした。阪神の投手ウィリアムズが慌てて一塁へ悪送球、走者が二、三塁に進んだ。そのあと代打大西が右犠飛を打って、サヨナラ勝ちした。

 この試合後の「落合語録」の福留に関するものは、こうだった。「オレは四番にバントのサインなんか出さん。自分で考えてやったのだろう。自分で必死に考えて野球をやっている」

 きっとそうなのだろう。しかしここで疑問が出てくるのだ。

 第一点。落合監督は「結果オーライ野球」を選手にやらせたいのか、ということ。たしかにサインを出していないのなら福留が自分で考えてバントしたのだろう。しかし、もし、ウィリアムズが一塁へ普通に、あるいは好送球して福留がアウトに、あるいは併殺になっていたなら、なんといっただろうか。

 第二点。こういうとき中日の4番は「ガツンと一発強打」しなくてもいい存在なのか、ということ。小細工や結果オーライの打撃をするのが落合監督の考える4番なのか、という疑問である。

 こう疑問に思うのには伏線があるのだ。5月半ばのある試合の9回裏、一死一塁。井端が強打したが三塁併殺打となり負けた。その後の「落合語録」はこうだった。

 「きょうの収穫はあの併殺打だ。わからん?君たちにはわからなくていいんだ」。その次の試合で井端が5打席全出塁すると、「わかっただろ」

 このとき落合監督がいいたかったのは、きっと「小細工はよくない、チャンスでもピンチでも思い切ってプレーしろ。それが次の試合に生きるのだ」ということだったのではないかと思われる。

 福留は、いまの球界では屈指の打者で、中日の打点トップだ。その4番が、相手がミスしなければ併殺打になりかねないバントという投ゴロを打つことを「自分で考えて」やって、それがいいことなのか。リードオフマン井端の強打併殺打と、4番福留の小細工との関係はどういうことになるのだろうか。

 中日ファンは、結果だけを見て「福留は大したものだ」とウハウハ喜んでいる。しかし、自ら抜擢した4番打者が、「結果オーライ打撃」をしているのを監督としてどのように評価するのか。その説明がない。

 担当記者に「もっとはっきり聞け」といったら、「聞いても答えてくれないし、睨まれて覚えが悪くなったら、後の取材に差し支える」といった。

 落合監督はいまの球界では貴重な“大人の野球をやる監督”であるだけに、もう少しキチンと説明してもらいたいと思うのだ。

アジア男子バレーの今後
大島 裕史/ジャーナリスト)

 30日まで東京体育館で行われていたアテネオリンピックの男子バレーボール・世界最終予選は、全体の1位のフランスと、アジア1位のオーストラリアが出場権を獲得して幕を閉じた。オーストラリアがアジア連盟の会員である以上、差別するつもりがないが、日本、韓国、中国というアジアの伝統的強豪が、揃ってオリンピックに出場できないのは、やはり衝撃的だ。
 
 世界のバレーボールが、東アジアのチームが得意とするコンビネーションバレーから高さとパワーを基軸としたバレーに変わったのは、かなり以前からの趨勢だ。ただ今回出場を逃がしたこの3国には、それ以外の要素も多々あった。
 
 まず日本は、5敗のうち4つまでがフルセットの末の敗戦で、勝負弱さが際立った。ここ一番でミスを連発し、大事な場面で攻めが単調になった。
 
 優勝候補の一角にありながら、1勝6敗の成績に終わった韓国は、もっと深刻だ。チャ・ジュヒョン監督は準備不足であったことを強調している。プロ化を進めている韓国は、5か月に及ぶ国内リーグで負傷者が続出し、この大会に向けての調整が不十分であったことは確かだ。しかし、登録12人のうち8人までが同じ三星火災の選手。多少の入れ替えはあっても、気心の知れたメンバーが集まっているだけに、準備不足ということは本来当たらない。国家代表を中心に動いていた過去のあり方から、思うように転換できていないのが実情だ。
 
 昨年秋のワールドカップで不振だった中国は、日本、韓国を破り、オリンピック出場にあと一歩に迫るなど、善戦したと言える。これはここ数年、代表を退いていた30代のベテランを大挙復帰させたことによるもの。そのためか、最後の方ではスタミナ切れも目に付いた。一方日本は加藤陽一、韓国はキム・セジン、シン・ジンシクといった、長年チームを率いてきたベテランが負傷により実力を発揮できなかったのが響いた。逆に言えば、彼らに代わって、チームのムードを盛り上げることのできる若手が育っていない現実がある。
 
 東アジアのチームが不振の中で、日本、韓国、オーストラリアを破ったイランの奮闘は注目すべきだ。体はさほど大きくないが、パク・キウォン監督の戦術眼と用兵術は際立っていた。パク監督は70年代、韓国バレーの英雄カン・マンスらとともに韓国代表のセンターとして活躍し、その後イタリアなどを渡り歩いた。そのパク監督は、今後アジアのバレーが進む方向性について、
「守りのバレーの時代は終わった。どのチームもアナリストを使って相手チームを徹底的に研究している。そしてよくプログラムされたフィジカルトレーニングを行い、その体力で持って攻撃的なバレーをすることが大切だ」と、力説する。
 
 確かに、試合の流れに応じた的確な分析と体力は、日本に足りない点である。さらに付け加えれば、勝負に対する厳しさが必要である。3回続けてオリンピック出場を逃がした日本は、もはや過去の栄光に浸っている時ではない。選手も指導者も、どんどん海外に出て行って、厳しさ、たくましさを身につける必要があるのではないか。
 
 日本のオリンピック出場が絶望になった後の試合も、東京体育館はまるで世界タイトルがかかった試合のような熱気があった。ファンの声援は確かにありがたい。しかしこの温かさに甘えていては、明日はないのではないか。

水泳25年目の感想
岡崎 満義/ジャーナリスト)

 「自転車30分生活圏」という言葉に出会ったのは、東大教授・上野千鶴子さんの著書だったと思う。買い物その他、どこへ行くにも自転車で30分位で行けるところに住むのかがいい、地域との交流も増える、という主張だったと記憶する。リタイア後の生活には、ドンピシャリの生活原則だ、と思った。

 市役所まで30分、図書館5分、孫娘を送り迎えする保育園7分、海岸にある9ホールのゴルフ場15分、そしてアクラブ藤沢25分―が、今の私の「自転車30分生活圏」である。「アクラブ藤沢」は少し前まで「金子スイミングクラブ」というクラブ名だった。

 ひと昔前、競泳の五輪選手がここから育っていた。アテネ五輪では女子シンクロナイズド・スイミングに、2人代表選手を出している。

 この「アクラブ藤沢」のメンバーになって、この6月で丸25年になった。家族会員として入会したので、子どもたちも学生時代まではここで泳いだものだが、今は私1人が利用している。今、会費は月9450円。

 現役時代は日曜日の午後、2時間ほどかけて2000m泳いでいたが、今は4、50分で1000mプラス水中ウォーキング300m程度になった。最近は、週に2、3日泳ぐことが多い。

 水泳を始めるまでは、辻堂海岸→江の島→藤沢駅というコースを、中国語会話のカセットテープを聞きながら、休日ごとに歩いていた。約10キロ少々の距離だったろうか。それをやめたのは、藤沢駅前が都市計画でキチンと整備され、歩いたあとの楽しみだった屋台のやきとり屋が姿を消したからである。

 夕方5時過ぎ、10キロを歩き終えて、この屋台にたどり着くと、ときどき関西弁が聞こえたりした。近くの平塚競輪の“オッカケ”グループらしきおっさんが、冷や酒をあおって、大いにオダを上げていた。悪くない雰囲気だった。

 屋台がなくなったので、歩く意欲がすっかりうすれた。何かかわりのものはないかと思っていたとき、近所の小学生がスイミング・スクールに通っているのを知って、聞いてみると、ウィークディの昼休みや日曜日の午後、自由に泳げるフリーメンバー・コースがあるというので、すぐ入会した。

 入会して3ヶ月たった頃、翌年春に創刊する「スポーツグラフィック・ナンバー」の編集長をすることが決まった。私にとっては、ゲンのいいスイミングクラブということになる。

 初めは100m泳いでは休む、ということの繰り返しだったが、次第に距離が伸びて2000mをノンストップで泳げるようになった。といっても1000m30分程度の速さだから、何ほどのこともない。

 よく、マスターズを目指さないんですか、と訊かれたが、他人と競争しようという気持ちは初めからなかった。自分との競争、つまり自己記録向上の意欲もまるでなく、ただ、だらだらゆっくり泳ぐだけだ。速く泳ごうと思っても、ゆっくりしか泳げないのだから仕方がない。

 水泳の効果は? と訊かれたら、泳いだあとの爽快感と、風邪をひかなくなったことだろうか。五十肩や腰痛を経験しなかったのも、水泳のおかげかもしれない。

 仕事が忙しい時期は1ヶ月に1回しか泳げないこともあったが、とにかく飽きることもなく25年つづいている。20年目に「皆勤賞」で、金メダルを頂いた。

 それにしても、プールには幼児を連れた若いお母さんたちと、あとは中高年の女性が殆どである。男性は寥々たるものだ。

 最寄駅への送迎クラブバスの胴体に、最近、子どもたちがプールで元気よく遊んでいる大きなカラー写真がプリントされた。「アクラブ藤沢」とだけ書かれたマイクロバスに乗っていると、老人ホーム行きのバスかと誤解されるのがイヤだ、と中高年の女性たちからの声があって、急遽、スイミングキャップをかぶり、水泳パンツ姿の子どもたちの絵柄が車体にほどこされたようだ。こんなところにも、女性の元気さがうかがえる。

 自転車と水泳とゴルフが、今、私のスポーツ生活である。

 


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