スポーツデザイン研究所
topページへ
topページへ
講演情報へ
オリジナルコラムへ
SPORTS ADVANTAGE
   「批評性」「評論性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る
最新GALLARY

photo

2004ネメアゲームス
古代スポーツ大会復元
ギリシャ ネメア

SPORTS IMPACT
  オリジナルGALLERY
vol.216(2004年9月 8日発行)

【杉山 茂】「プロ」を「アマ的審判員」が裁けるか
【高田実彦】プロ野球“スト決行”決定で思うこと
【佐藤次郎】ちょっと気になること


 

購読希望者は右よりエントリーして下さい。

エントリーフォームに不具合が生じております
右下のアドレスよりエントリーしてください。

筆者プロフィール

vol.215-3 2004年9月 3日号「総括ーアテネ」
vol.215-2 2004年9月 2日号「総括ーアテネ」
vol.215-1 2004年9月 1日号「総括ーアテネ」
vol.214 2004年8月25日号「(JBL)が揺れて・・・」
vol.213 2004年8月18日号「野球界・・・」
SPORTS ADVANTAGE
無料購読お申し込み
オリジナルコラムを中心に当サイトの更新情報、スポーツ関連講座やシンポジウム開催情報などを無料配信しています。今すぐご登録下さい。
申し込みはこちらから
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望
エントリーは下記アドレスに、氏名配信先アドレス男女都道府県別年齢所属、記入の上メールして下さい
advantage@sportsnet
work.co.jp
「プロ」を「アマ的審判員」が裁けるか
杉山 茂/スポーツプロデューサー)

 アテネ・オリンピックが残した課題の1つに、判定や採点のミス、トラブルがある。

 体操では、観客のブーイングに押されて採点が変えられる一件もあり、審判への信頼を失うと批判された。もっともだ。

 私は1968年のメキシコ・オリンピックの女子体操で、当時人気の選手の評価(採点)が低いといって観衆が再三騒ぎ、そのたびに点数が変わるシーンを取材したことがある。

 不思議な気はしたが、その時はそれで順位が変わったわけではなく、観客の見立てた点数と審判団の採点との“差”を近づけようとする一種の“楽しみ方”とも思えた。

 それから40年近く、演技の質(内容)が極めて高度となり、難度を増し、実力も接近している。

 審判の技術を見る“目”が、相当に高められていなければ“楽しむ”どころか“不満”がつのる。

 判定技術のレベルアップは、観客の興味を引き上げるのだ。審判員の未熟と信念の欠乏で、採点が変わっては、競技への関心が冷(さ)めてしまう。

 これは採点競技だけに限らない。シドニーオリンピックの男子柔道100s超級決勝・篠原信一―D・ドワイエ(フランス)戦のトラブルは記憶に新しいし、2年前のソルトレークシティ冬季オリンピックのフィギュアスケート、ショートトラックにおける紛糾などは、審判員の判定、判断がもう少ししっかりしていれば、と惜しむケースばかりであった。

 審判員側の立場を一方的に責めるのもフェアではない。彼(彼女)らの大半は、いわゆるアマチュアの身分なのだ。競技者たちが、フルタイムの環境化を整えられ、プロフェッショナルの参加も多くなっている傾向の中で、審判を職業とするのはプロ組織以外では難しい。

 技術の精細化を裁くための日ごろの条件は決してよくないのである。このあたりの改善を各スポーツ界が進め、オリンピックは最高レベルの審判員だけで運行するようにしなければなるまい。

 ところで、国内各スポーツも、今後、頂点技術の高まりに見合う審判界の拡充には、課題が積まれそうだ。

 多くのスポーツで、この役割を背負ってきたのは「教員」だが、スポーツ系、体育系教員の減少は、審判員層の弱体につながる。
各スポーツ共通の審判員資格の講習、研修を一般にも積極的に公開し、志望者の拡大を図るべきではないか。

 日本体育協会が新事業として「レフェリースクール」に手をつけてもよいだろう。

 「より速く・高く・強く」に「より正しく」を加えるのは、日本人のスポーツ観にも合うことだ―。

プロ野球“スト決行”決定で思うこと
高田 実彦/スポーツジャーナリスト)

 プロ野球選手会労組の“スト決行”は、論理的におかしい。それなのにどうしてファンの支持があるのか。それは巨人の前オーナー渡辺恒雄氏の「たかが選手」などの発言に象徴的に見られる“時代錯誤のプロ野球界”への批判のためだろう。

 まず、ストの論理的なおかしさについて。

 スト決行の理由である「合併反対」や「合併の1年間凍結」は、労組のストの対象にはならない、とは多くの法律家の一致した見解だが、一般会社の労組に置きかえればよくわかる。会社の経営者が「赤字でやっていかれないから他社と合併する」というのに対してストをやれるか。組合がいえるのはおそらく「組合員が資金援助するからもう少し頑張れ」とか「従業員をクビにするな」くらいだろう。

 いま銀行はじめ多くの会社が合併しているが、どこでも組合問題になっていないのはそのためだろう。当該労組にストする力がないともいえるが、組合組織のトップ・連合も黙っているのは、ストに適さない問題だからだろう。

 機構側は、いま近鉄にいる選手を他球団が引き取って、「合併による契約解除はしない」といっているから不当解雇にはならない。労組側がやるべきことは、この確認を取ることぐらいだろう。

 労組がいまストをやれる案件は、「話し合いに応じろ」ということだけだと思われる。

 実に考えられないくらいおかしなことだが、6月に問題が起こってから、機構側は一度も労組に対して正式な場での合併などの球界の動きについて説明を行っていない。これは非道以外の何物でもない。機構側は、選手会労組を労組と認めてないからだ、というだろうが、たとえ労組でなくても、働き手である選手会にキチンと説明してこそまともな社会といえる。

 普通、スト決行の決定は、徹夜に次ぐ徹夜の団体交渉をしたあげくだ。一度も話し合いがなくて事態がこのようになるとは、プロ野球界が異常な世界である証拠だろう。

 その象徴的なものが、かの渡辺発言だ。ストがファンに支持されているのは、この発言にカチーンときているからだ。「たかが選手が」「無礼者が」と吐き捨てるようにいった球界のドンの発言は、ファンの耳にこびりついている。選手の「話し合いの場を持ちたい」という求めに対する答えがこれなのだから、ファンは「バカにするにもほどがある」と怒っているのだ。ファンはたぶんに自分を選手に仮託するところがあるから、自分がバカにされた気分なのだ。

 この体質は、渡辺発言以前から球界にこびりついている。たとえばコミッショナー、連盟会長のような責任トップの役職に選手経験者を据えようと発案したことが一度もない。プロ野球誕生70年にもなって、それなりの人物もいるのに、だ。トップの役職にはみんな野球にトンチンカンな高級官僚上がりの爺様ばかりを天下りさせてきた。球団社長や代表にしてもマレにいるだけで、選手を「お前たちは球投げしていればいいんだ」という“野球バカ”扱い。時代遅れも甚だしい。

また、野球協約の改定、選手統一契約の見直しなど、何もやっていない。
こういう実態は、実はアメリカ軍の占領政策に端を発している。プロ野球は戦後の日本統治の3S政策の一端として奨励された。日本国民にスポーツ、スクリーン、セックスを奨励することによって批判の矛先をかわす政策である。むかし左翼はこれを愚民化政策といったが、だからプロ野球を一番先に復活させ、ついで映画。“お上”が政策的に復活させたのだ。戦後60年近くなっていまだにこういう占領政策の“お上意識”のシッポを持っているプロ野球は、一度ズタズタにしなければダメだ。

 今回のストが、このような大きな思想のもとに画策されているのかどうかは知らない。もしそうであるなら立派だが、極度な年俸アップが球団経営を苦しめていることやファンサービスをあまりやらないことを棚に上げて、また、選手の顔を見に来たり写真を撮りにきたりしたファンからサインを集めて「大衆の支持がある」というのは、これまたトンチンカンである。

 近鉄がオリックスに合併される1つの要因は、選手の年俸に押しつぶされたのだ。だから近鉄が球団をリストラしたのだ。ダイエーのように近鉄と同じに「巨人戦の放送料がはいらない球団」でも頑張って、球界第2位の入場者を集めている球団もあるのだから、近鉄の自滅は、ある意味では自業自得である。

 選手たちのスト決行の決定が、これらの問題(まだいっぱい問題点はあるが)を前向きに検討するきっかけになるなら、大いに意義があることになる。そうあってほしいと切に思う。

ちょっと気になること
佐藤 次郎/スポーツライター)

 みんなが褒めたたえているものには、何か文句を言いたくなる。よくない性格と言わねばならない。とはいえ、マスメディア、特にテレビが声高に称賛するものには、意外と首をかしげる向きが多いのも事実である。たとえば、「長嶋ジャパン」という言い方が嫌いだという人物にしばしば出くわすように、だ。
 
 アテネ五輪ではふたつばかり、気になることがあった。ひとつはあの金メダリストの第一声である。北島康介が傑出したスイマーであり、一人の人間としても素晴らしい資質を持っているのは間違いないだろう。が、あの金メダル・コメントはいただけない。
 
  「気持ちいいーっ、チョー気持ちいいーっ」
 
 いまや流行語大賞の最有力候補といわれている。若者の率直な気分がよく表れていて素晴らしいというのが一般的な評価だ。オリンピック名言集の巻頭には、たいがいこれが掲げられている。しかし、私としては、この言葉がテレビを通して聞いていた人々の心に何かを伝えたとは思えなかった。トップアスリートとしての深い思いの「表現」が感じられなかったからである。少なくとも、これは「名言」とはいえない。
 
 競技を終えて優勝した直後にいきなりマイクを向けられても、そう簡単に言葉は出てくるまい。が、若いとはいえ、数々の国際舞台を踏み、世界記録もマークした名スイマーなのだ。もう少し、何かを表現してほしかった。何かを伝えてほしかった。メディアも、人気者の言葉ならなんでももてはやすのはやめたらどうか。
 
 もうひとつは、最初にも触れた野球の長嶋ジャパンである。明らかに総合力で劣るオーストラリアに二度負けて、確実といわれた金メダルをあっさり逃したチームなのだが、各メディアの反応はやたらに好意的だった。ちょっとスポーツ紙の見出しを拾ってみても、「金以上の銅」「胸張って帰ってきて」「充実の涙」−−といった具合だ。
 
 そんなことを言っていていいのだろうか。敗北を批判せよというのではない。「国民の期待」とやらを持ち出すつもりもない。ただ、なぜ力が下の相手に連敗したのか、その内容を調べ、分析して結論を出すことは絶対に必要だ。日本の野球にとって、それはたいへん重要な作業となる。なぜかといえば、日本の野球界は、あるいはメディアやファンたちは、自分たちの実力について大きな誤解をしていたかもしれないからだ。
 
 もはや日本のプロ野球は米メジャーリーグのレベルに着々と近づいている。それが最近の共通認識だった。しかし、本当にそうだったのだろうか。一部の選手は確かにメジャーのトップに位置する力を持っている。が、全体的にみれば、まだまだ足りないところがさまざまな面であったのではないか。今回の敗戦をきっかけに真摯な見直しをしていけば、必ずレベルアップにつながる。「よく戦った」などと言っているだけなら、全体のレベルはいつまでもいまのままに違いない。
 
 みんながもてはやしているところに文句をつけるのは気がひける。しかし、ひっそりと首をかしげている姿があちこちに見えるような気もするのだが、どうだろうか。

 


最新号
Back Number

2004年
vol.215-3(09/ 3)

vol.215-2(09/ 2)

vol.215-1(09/ 1)

vol.214(08/25)

vol.213(08/18)

vol.212(08/11)

vol.211(08/ 4)

vol.210(07/28)

vol.209(07/21)

vol.208(07/14)

vol.207(07/ 7)

vol.206(06/30)

vol.205(06/23)

vol.204(06/16)

vol.203(06/ 9)

vol.202(06/ 2)

vol.201(05/26)

vol.200(05/19)

vol.199(05/12)

vol.198(04/28)

vol.197(04/21)

vol.196(04/14)

vol.195(04/ 7)

vol.194(03/31)

vol.193(03/24)

vol.192(03/17)

vol.191(03/10)

vol.190(03/ 3)

vol.189(02/25)

vol.188(02/18)

vol.187(02/13)
vol.186(02/ 4)
vol.185(01/28)
vol.184(01/21)
vol.183(01/14)
vol.182(01/ 7)
2003年
vol.181(12/26)
vol.180(12/19)
vol.179(12/17)
vol.178(12/12)
vol.177(12/10)
vol.176(12/ 5)
vol.175(12/ 3)
vol.174(11/26)
vol.173(11/19)
vol.172(11/12)
vol.171(11/ 5)
Vol.170(10/29)
Vol.169(10/22)
Vol.168(10/15)
Vol.167(10/ 8)
Vol.166(10/ 1)
Vol.165( 9/24)
Vol.164( 9/17)
Vol.163( 9/10)
Vol.162( 9/ 3)
Vol.161( 8/27)
Vol.160( 8/20)
Vol.159( 8/13)
Vol.158( 8/ 6)
Vol.157( 7/30)
Vol.156( 7/23)
Vol.155( 7/16)
Vol.154( 7/ 9)
Vol.153( 7/ 2)
Vol.152( 6/25)
Vol.151( 6/18)
Vol.150( 6/11)
Vol.149( 6/ 4)
Vol.148( 5/28)
Vol.147( 5/21)
Vol.146( 5/14)
Vol.145( 5/ 7)
Vol.144( 4/30)
Vol.143( 4/23)
Vol.142( 4/16)
Vol.141( 4/ 9)
Vol.140( 4/ 2)
Vol.139( 3/26)
Vol.138( 3/19)
Vol.137( 3/12)
Vol.136( 3/ 5)
Vol.135( 2/26)
Vol.134( 2/19)
Vol.133( 2/12)
Vol.132( 2/ 5)
Vol.131( 1/29)
Vol.130( 1/22)
Vol.129( 1/15)
Vol.128( 1/ 8)
2002年
Vol.127(12/25)
Vol.126(12/18)
Vol.125(12/11)
Vol.124(12/ 4)
Vol.123(11/27)
Vol.122(11/20)
Vol.121(11/13)
Vol.120(11/ 6)
Vol.119(10/30)
Vol.118(10/23)
Vol.117(10/16)
Vol.116(10/ 9)
Vol.115(10/ 2)
Vol.114( 9/25)
Vol.113( 9/18)
Vol.112( 9/11)
Vol.111( 9/ 5)
Vol.110( 8/28)
Vol.109( 8/22)
Vol.108( 8/14)
Vol.107( 8/ 7)
Vol.106( 7/31)
Vol.105( 7/24)
Vol.104( 7/17)
Vol.103( 7/10)
Vol.102( 7/ 3)
Vol.101( 6/26)
Vol.100( 6/19)

100号記念メッセージ

150号記念メッセージ


Copyright (C) Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。 →ご利用条件